太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

Qrio Smart Lock サービス終了に感じる犠牲的アーキテクチャと期間限定の価値

期間限定の思想 「おじさん」的思考2 (角川文庫)

Qrio Smart Lock 初代モデルのサービス終了

 アプリとの接続による解施錠などは急に使えなくなることはないが、アカウント認証情報の更新やカギ情報の更新など、セキュリティに関わる重要な機能の担保ができないため、使い続けないでほしいとユーザーに呼び掛けている。

  Qrio Smart Lockの初代モデルがサービス終了とのこと。僕自身は二代目モデルを使っているので今のところは影響がないのだけど、将来的なリスクに少し憂鬱になった。結局はオートロック機能の後付けのためにしか使っておらず、物理鍵で開けているからカギ情報は完全に抹消して登録不可にできた方が安全なのかもしれない。インキーロックすると終わるけれど。

 それはさておき、ソフトウェア組み込みの買い切りハードウェアのサポートを無償で続けるのはそもそも無理があるビジネス設計であり、永続的に使える前提で売るのも、それを期待して買うのもスマートではないという反省がある。Qrio Smart Lock に限らず、スマートフォンのOSや制御ソフトウェアのような継続的なアップデートを必要とする機械は、原理的に「期間限定」のものであり、もっといえば犠牲的アーキテクチャに組み入れられるべきものだ。

犠牲的アーキテクチャと期間限定の回収期間

なら犠牲的なアーキテクチャを意識的に選ぶとは、つまりどういうことなのだろう?それは、数年後には(願わくば)今作っているものを捨てることになる現状を受け入れる、ということだ。それは、作っているものが応えることのできる機能横断的なニーズへの限界を受け入れる、ということかもしれない。それは、時が来たら取り替えが効くよう今のうちから物事を考えておく、ということかもしれない - ソフトウェアの設計者は、交換のしやすさなんて滅多に考慮しない。それは、比較的短時間で捨ててしまうソフトウェアだって多くの価値を生み出しうると認めること、でもある。

 「犠牲的アーキテクチャ(SacrificialArchitecture)」とは、『エンタープライズアプリケーションアーキテクチャパターン』で知られるマーティン・ファウラーが提唱した概念で、サービス規模が拡大したり、もっと良い技術が生まれるなどの状況変化に晒されたソフトウェアは作り直した方がマシな状況になるため、永続性に固執しても無駄という絶望と、でもだからこそ期間限定の価値を生み出せている希望を指摘している。

 これは、ほとんどのモノの購入やサービスの利用にも発生していることだ。例えば、SNSやクリエイティブツールや情報発信サービスなどを組み合わせて「最高のシステム」を構築することは、当初から陳腐化や再構築の必要性を内包している。でも、だから何も準備すべきではないということではなく、期間限定の価値があるのだから陳腐化する期間を予測したり、交換容易性を意識しながら投資回収計画を考える冷静な態度こそが必要となる。

ソフトウェアの減価償却会計法でも認められている

 企業の財務会計においてもソフトウェアを購入したら資産計上して減価償却処理を行う必要がある。例えば、業務改善のための自社利用ソフトウェアを購入したら、その費用を固定資産としてBSに計上し、5年間かけて毎月「取得費用 ÷ 60」の費用をPLで発生させ、合わせてBSの資産を減額していく。

 ソフトウェアは物理的な摩耗や劣化をしないのに資産価値が減っていくのは業務内容や周辺技術などの状況が変わっていくことを織り込んでいるからだろうが、結果的に60ヶ月縛りのサブスク契約のような会計処理となる。「ソフトウェアを買い切ったら永続的な資産になる」という考えは会計法上でも否定されており、期間限定のものだと位置付けられている。

ソフトウェア組み込みハードウェアの価値減損の織り込み

Qrio代表取締役に就任したWiLの西條晋一氏は、「Qrioはこの座組みでやる必然性があった」と語る。長年サイバーエージェントの事業拡大を支えてきた人物として知られ、2012年の退職後もWeb系スタートアップを中心に投資を行ってきた同氏は、なぜ畑違いのIoT分野に挑戦することにしたのか?

 このように考えるとQrio Smart Lockはそもそもソフトウェア的な発想で作られた機械であり、買い切りのようでありながらも、実質的には最長で2015年の発売開始時点から発生した期間限定のサブスク契約であったという見え方もできる。それ自体はスマートフォンであれパソコンであれ各種家電であれ同じ話で、ソフトウェア組み込みのハードウェア製品は結果的に期間限定の有用性になってしまいがちだ。

 問題はハードウェア的な寿命がソフトウェアよりも意外に長いことや、家具に区分されるモノの耐用年数は長期間を期待しがちというギャップだ。家を建てる際には「当時の最新」をビルトインしたスマートホームにすべきではないという忠告は、家自体を期間限定で建て替えていくわけにもいかないギャップを織り込んでいる。

犠牲的アーキテクチャである絶望と希望を織り込む

 Qrio Smart Lock自体は後付けハードウェアであるから後継機への交換(セール案内されている)が容易なのでまだマシだが、ドア自体に工事で組み込んでしまったり、例えば交換が大変な大型のAndroid TVなどはあまり良い選択肢ではないだろう。その一方であくまで期待耐用年数分の実質サブスクレンタルとしての費用分割払いに納得できるのであれば問題ない。このような状況に対応してか、スマート家電などのサブスクレンタルも充実してきている。

 例えばルンバにおいては月々数千円でレンタルでき、半年間以上の利用で返却することもできるし、3年間以上の利用したら以降の費用は発生しないサービスとなっている。実際的には「お試し利用」のユースケースが多いのだろうが、任意のタイミングでハードウェアやソフトウェアのアップデートに追随できるという観点でも便利だし、契約上も期間限定になることで「廃棄の手間と罪悪感」がないのが個人的には嬉しい。

 そんなわけで変化が激しい分野においては「買い切り」による永続性をあまり信じるべきではない一方で、それを理由に利用しない機会損失も勿体無い。あくまで犠牲的アーキテクチャである絶望と期間限定の価値発生を織り込んで、実質サブスク型の買い切りや本当のサブスク契約としての費用対効果判断をしていくべきなのだろう。

本書は、ある時期、ある場所で、ある年齢、ある社会的立場の人が、ある種の状況下で(「 小海老天せいろが来るのを待ちながら」とか「バーのカウンターでバーボンソーダを 呑みながら」とか)読むのが「つきづきしい」ものであって、そういう条件を外してしまうと、それほど面白くない。

 人間も社会も技術も変化するのだから、あらゆるものは「期間限定」である。とはいえ、Qrioのオーバープロミスは不誠実であり、まずはサービス保証期間の看板を掲げることから始めるべきだったのではないか。月額サポート費用を取っても良いしね。