太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

柞刈湯葉『未来職安』感想〜LLM 無職時代を予見した脱力系ディストピアにおける"生産者"とは

未来職安 (双葉文庫)

LLM 無職時代の到来

ChatGPT や Claude Code をはじめとする AI Agent が人間の「書く・考える・決める」といったタスクを代替し始めており、まずは業務委託契約の更新などについてのシビアな声も聞くようになってきた昨今。巷では「LLM 無職」なんて言葉も生まれ、AI が人間の仕事を奪う未来が俄かに現実味を帯びてきた。

平成よりちょっと先の未来、国民は 99%の働かない<消費者>と、 働く 1%のエリート<生産者>に分類されている。 労働の必要はない時代だけど、仕事を斡旋する職安の 需要は健在。いろんな事情を抱えた消費者が、 今日も仕事を求めて職安にやってくる。 斬新だけどほっこり、近未来型お仕事小説の登場!

柞刈湯葉の小説『未来職安』は、この状況をユーモラスかつ鋭く予見した脱力系ディストピア SF である。本作が提示する未来は、99%の人間がベーシックインカムので暮らす"消費者"となり、残りの 1%だけが働くことを許された"生産者"となる社会だ。ハインラインの『宇宙の戦士』における"一般人"と"市民"の違いを思い起こさせるような、労働と社会的所属の再定義が行われつつも、奇妙な逆転が起きているのが面白い。

現代社会においては健康なのに働かない者を「社会不適合者」と呼ぶが、この世界では逆に「働いている者こそが社会不適合者」とされる。主人公の目黒ナツは公務員を辞めさせられた後に、小さな私設職安に再就職するが、その職安の所長は「ネコイラズ」によって生産性ゼロになった猫で、副所長は機械音痴の中年男性と逆説的な存在として描かれる。

作品内で職安は単なる職業斡旋所ではなく、「生産者を生産する装置」として機能している。消費者たちは「働かなくてもいいのに、どうしても働きたい」という矛盾を抱えて職安を訪れる。彼らに与えられる仕事は「防犯カメラに敢えて映り込んで個人情報保護に厳しい AI の解析を妨害する」「AI タクシーの事故の責任を取る」など、一見すると無意味であるが「人間にしかできない」非合理性やリスクを背負うことで初めて価値が「生産」される仕事が描かれる。この小説自体は 2018 年に刊行されているが、まさに 2023 年頃に議論されていた「AI による仕事の代替」と、それでも残る人間としての「生産者」の議論を先取りしている。

コスパ至上主義のディストピア

また、本作では有料本と無料本が並立し、AI が大量生産する無料コンテンツに押され、人間作家が存亡の危機に陥っている。そこに平成レトロやリミックス文化が入り混じり、コンテンツの大量消費と廃棄が繰り返される未来が描かれる。これは現代の Kindle Unlimited や広告収益モデルで連載される Web 漫画がもたらす「コスパ至上主義」の行き着く先を予見しているようでもある。

責任の取り方についても、皮肉な洞察を示す。AI が運転する車の事故は車両ナンバーに割り当てられた「辞職専門官」が辞めるという儀式で責任を取る。これは現代の政治や企業における「辞職で幕引き」という責任回避の形式化を鋭く風刺している一方で、サンデルのいう「くじ引き資本主義」の社会実装のようにも感じる。

ベーシックインカム支給の頭数のために結婚や養子縁組が行われていく中でも、結婚相手は選びたいし、自分の遺伝子を持った子供が欲しいという欲求が残る一方で年金の不正受給を彷彿とさせる社会的な不正行為もあり、労働から解放された後の人間の欲望や倫理観がどのように変化していくのかも緩やかに描かれる。

働かない自由と社会の所属

LLM 無職時代の到来には、受動的に職を奪われる人間と、能動的に働くことを放棄して新しい食い扶持を探す人間という二つの側面がある。職安の「所長」として君臨する猫は後者を象徴するメタファーだ。彼は生産活動を一切行わないが、「そこにいるだけ」で組織を統率する。これは AI 時代に働かない自由を享受する特権階級の姿でもある。

実際問題として、米国での失業率は増加しており、その一端として AI の進化によるものも含まれており、この傾向はさらに加速するだろう。World Brain の進化による「有意義なディストラプト」に対する社会的なセーフティネットとして、World Coin のようなプロジェクトが一定の役割を果たすことを目指しているが、これはつまりハレーションを防ぐための「やさしさ」の準備なのだと見ることができる。僕だってベーシック・インカムあるなら LLM 無職になりたいよ。

『未来職安』は脱力系のユーモアと軽快な会話劇を通じて、私たちに「労働とは何か」「社会に属するとはどういうことか」という問いを投げかける。AI が職業だけでなく、責任の形式や社会的所属すら再定義する未来において、私たちはどのように生きるのか。本書はそのような問いを深刻になりすぎずに考えさせる脱力系ディストピア SF である。ここから 5 年後はどうなっているんだろうね。