ジークアクスはもはや考察が本体となっている?
今回の『ジークアクス』では『ファーストガンダム』の監督・富野由悠季が残しているトミノメモに書かれた話数が短縮された影響で本編に入り切らなかった設定やアイデアが劇中に散りばめられている。
他にも富野が書いたノベライズ小説の設定など、これまで発表されたガンダム関連のネタが随所に散りばめられており、情報量が異常に多いのが『ジークアクス』の特徴だ。
ジークアクスについて「もはや考察が本体になっている」と指摘した記事が話題になっている。僕自身としては劇場先行版で衝撃を受けて以来、毎週水曜日の朝は少しだけ早起きをしてジークアクスを観てから出勤するのがルーティンになっている程度にはハマっている状態だ。
確かに早めに観ておかないと考察勢のツイートでネタバレされてしまうというネガティブな要因もあるが、できるだけ早く観たいというポジティブな要因もある。TV番組はタイムシフト録画やインターネット配信で週末にまとめて流しておく程度のことが多かったので、ニアリアルタイムで追いかける体験自体が久々である。
ジークアクスの視聴体験について思うのは、これまであった考察アシストツールの進化と擬似歴史物としてのガンダムの魅力であるが、それ以上に「サインを正しく読み取って予想を当てたい」という感情について「考察」と呼んでいるのではないかということであり、それがマウンティングの道具になっているということを感じる。
サイン競馬予想大会としての考察
競馬における「サイン競馬」や「サイン馬券」とは、手がかりや暗示を重視してレースの結果を予想する手法である。例えば、特定の数字や色、馬の名前に関連する出来事や騎手の誕生日や結婚発表などがレースの結果に影響を与えるとされる。サイン競馬ファンはこれらのサインを読み取り、レース結果の予想を立てるのだが、本気に信じている人とは別に、強引な与太話自体がエンタメとして消費されている側面もある。
アニメの考察においても、視聴者は様々な要素から「サイン」を読み取り、物語の展開を予想しようとする。特にジークアクスのような作品では、トミノメモや小説版を「原典」としながらも監督や脚本家が関わった過去の作品からの構造的引用や好みのキャラクター造形、なんだったら乃木坂 46 の楽曲やアニメのオマージュまでが散りばめられている。これらの要素は、視聴者にとって「サイン」として機能し、物語の展開を予想するための手がかりとなる。と思い込みやすい。
それは「コスト」なのかと考えると少し違うと思っていて、ブルデューが『ディスタンクシオン』でいったところの象徴闘争の「かけ金」のがしっくりとくる。象徴闘争とは自分が持っているハビトゥスや知覚様式、あるいは自分の価値を押し上げるために行われる価値観の押し付け合いであり、「かけ金」と呼ばれる象徴的な利得をめぐって行われる。若者のオタクと呼ばれたい欲にも関連する。
競馬においては、偶然合致したサインが実際のレース結果に影響を与えることはまずないが、物語においては、サイン ≒ 伏線の回収こそが物語の評価につながる可能性もあり、展開と全く関係のないサインしか存在しないことも逆に稀だろう。散りばめられたサインを正しく読み取って、星座を作ることで次週や最終話の予想を立て、それを表明することがステーク(かけ金)として機能する。ステークス(賞金)は「いいね!」だ。
結果が決まっている物語ほど予想が盛り上がる
前述の通り、サイン競馬が成立するのは物語だからなのだが、これは結果が決まっているからこそ予想が楽しいという逆説を意味する。それはプロレスを観戦する楽しみにも似ており、プロレスの試合は、事前に決まった格付け変動とストーリーラインに基づいて進行するため、事前の流れが重要となる。
例えばタイトルマッチ前哨戦のタッグマッチで直接的にフォールを取られたりするとシングルマッチでは勝つサインだが、番狂せがある場合には事前になんらかの伏線がはられることが多い。所属選手の契約期間の満了や手術を控えているなどといったメタなサインもある。それでも、どう展開するのかはわからない部分もあり、あえて予想を裏切るのもブッカーの腕の見せ所だ。
アニメの週次配信やプロレスの興行は、終了してから数日〜1 週間の空白を用意する。この時間こそがコミュニティを発酵させ、考察や解説を行うための余白となる。Netflix においては全話一括配信が主流となっているが、これでは「余白」が生まれず、考察の醍醐味が失われてしまうというのが日本的なコミュニティとは少しズレていると感じる。
サインを散りばめるリスクが減った視聴環境の整備
書き手としてはあくまで中立的な報道のテイを守ることによって、読み手側が重大な事実を知れるという構図がある。ましてや現代は SNS やソーシャルブックマークなどのネタバレアシストが充実しているから個々人のリテラシー以上のものが期待できる。「映ってしまったもの」を混ぜ込みながら読み手のリテラシーに委ねるリスクが減ったのだ。
ジークアクスの考察が盛り上がる背景には、ネット環境の変化もある。かつてはテレビや映画の情報は限られたメディアからしか得られなかったが、現在では SNS やブログ、YouTube など多様なプラットフォームで情報が共有されるようになった。これにより、視聴者は自分だけでは読み解けなかったサインも知ることができ、そこから星座を描くことも容易になった。
ましてやガンダムは長年のファンが多く、もはや大河ドラマにおける歴史考察のような側面もある。過去の作品や設定を知ることで、ジークアクスの物語に深みを与えることができる。これにより、視聴者は単なる受け手ではなく、能動的な参加者として物語に関与することができる。これまでのオタクは「知っているか? 知らないか?」という卓越化合戦をしていたが、「公知のサインから次の展開を考察」することが重要な要素となっており、「予想を当てたか? 外したか?」の卓越化(デイスタンクシオン)へと変化していく。
ちなみに、僕自身としてはジークアクスは「正史の直前」に行われたループであり、正史を言葉通りのトゥルーエンドとするにはエルメス破壊描写までは確定させつつララアを救う描写をする必然があって、それをユニコーンへの道筋とするなら精神体として生き残る感じにすると予想している。つまり、ジークアクスはユニコーンの前日譚であり、正史を補完する作品であり、『めぐりあい』でED。で、これは変動率 1.048596%のシュタインズゲートを探すのと同じ展開であり(早口)
こんなことが楽しめるのも、結末が決まっている時限性の週次配信のアニメをニアリアルタイムで観ているからこその体験であり、この手触りを大事にしたいと感じている。