The Gentle Singularity
ChatGPT から o3-PRO がリリースされるなか、Open AI の CEO であるサム・アルトマンが更新したブログである『The Gentle Singularity』が興味深かった。
記事では日常に AI が溶け込み様々な技術革新が現実に進行している前提において、すでにシンギュラリティは起きているが、ロボットが動き回るようなものではなく "gentle" ≒ やさしい ものであると主張している。日本のSNSでは「おだやかな特異点」という訳され方も広まっていたが、"calm" ではなく、 "gentle" という表現を選んでいることに着目したい。
つまり「穏やかさ」とは真逆に急激な変化が起こっているのに対し、それにしては大きな不自然さや暴力性を感じることもなく、むしろ人間の生活に溶け込んでいくような特異点を指している。
もはや AI は人間が道具として使いこなせる存在ではなく、独自のエイリアン・インテリジェンスを持ったエージェント(主体)として動き始めた“他者”として立ち上がる。それは SF 映画が描くような人型ロボットの反乱やサイバー攻撃ではなく、もっと静かで広範囲な現実改変装置としてである。
広報戦略や浸透戦略については人間同士のビジョン形成も多々あったのだろうが、その実行プランのブレークダウンや自己改善を支援する役割として AI の活用は大いにある。大量の AB テストとフィードバックを繰り返し、最適なメッセージングを見つけ出すためのツールとして、AI は非常に有効であり、AI による認知戦 ≒ マーケティングに最も成功した実施例は Open AI 自体なのかもしれない。
"World" という言葉を使う意図とやさしさの技術
We (the whole industry, not just OpenAI) are building a brain for the world. It will be extremely personalized and easy for everyone to use; we will be limited by good ideas.
中でも印象に残った言葉が、「私たち(OpenAI だけでなく業界全体)は世界の脳を作ろうとしている」である。これは単なる比喩を超え、人工知能が次の社会インフラになる未来像を明確に示している。その「世界の脳」は、個々の人間や企業、さらには国家の枠を超え、デジタルな知性が連携して集合的に機能するモデルを想定しているのだろう。
ここで "World" という言葉を選んでいることにも注目したい。サム・アルトマンは Open AI とは別に World Coin (現 "World")というプロジェクトを進めており、これは虹彩認証を用いて個人の識別とデジタルアイデンティティの確立を目指している。World Coin の目的は、AGI が普及した未来においても、個々の人間が独自のデジタル存在として認識され、仮に給料を生み出す就労ができなくてもユニバーサルベーシックインカム(UBI)を受け取れる社会を保証することにある。
2015 年に OpenAI を設立して CEO を務めていたサム・アルトマンは、新たに立ち上げる Worldcoin に対して興味があるかを探るために 2019 年にアレックス・ブラニアにメールを送った。アルトマンともう一人の後に共同設立者となるマックス・ノベントスターンが用意していた文書には、AGI(汎用人工知能)が実現すること、またそれによって社会が有意義な形でディスラプト(破壊)されるということが記されていた。また、ブラニアによるとアルトマンは当時既に UBI の必要性を確信しており、それは社会にとって最も重要なものの一つであると考えていたという。
実際問題として、米国での失業率は増加しており、その一端として AI の進化によるものも含まれており、この傾向はさらに加速するだろう。World Brain の進化による「有意義なディストラプト」に対する社会的なセーフティネットとして、World Coin のようなプロジェクトが一定の役割を果たすことを目指しているが、これはつまりハレーションを防ぐための「やさしさ」の準備なのだと見ることができる。僕だってベーシック・インカムあるなら LLM 無職になりたいよ。
虹彩認証された脳プラグイン
そして、「真の高帯域ブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)」が近いうちに実現すると予測している。多くの人々は今の生活をそのまま続けるが、一部の人々は自らをインターフェースを通じて「プラグイン」するという道を選ぶだろうと述べている。
BCI は単にネットに繋がるだけでなく、自らの脳を直接的にネットワーク化することで、情報交換の効率を桁違いに向上させ、人間の意識そのものがデジタルの情報空間に拡張されていく未来を示唆している。そこにはルッキズムや思想信条をやさしく認知改変(≒錯覚)させる技術も絡むだろう。既に、『スマホの次は「錯覚」革命 五感の揺さぶりが生む商機と危うさ - 日本経済新聞』と言われている。
ここにおける翻訳とは削除することでもない。AI やシステムが行うのは、語彙の再配列であり、比喩の補足であり、相手の知的水準や主義に合わせたスムージングである。つまり、即時反応の回路にワンクッション挟み込む。脊髄反射ではなく、意識的な再読解を促す構造。これが「やさしいインターネット」である。こうした設計は技術的に不可能ではない。GPT によるリフレーズ、生成系 AI による補助文脈提示、リアクションのニュアンス判定など、すでにパーツは揃っている。必要なのは、発言者だけでなく読者側の認知を調整する揺籃構造の意識的実装である。
BCI をプラグインする人としない人が分かれる世界においても、やさしさを維持するためにこそ、BCI は利用される。そして、その実行主体は法が定めた生物としての人間であることの証明が重要になってくることが明らかであり、虹彩認証などの生体認証技術がその役割を果たすことになる。自動運転車であっても、運転者が存在しないといけないフェイズがあるように、BCI においてこそ「人間の脳」を識別する必要が出てくる。
ちなみに、この記事の URL 文字列にもあるとおり、僕自身も "gentle" という言葉を意識的に使っており、チルアウト的な穏やかさではなくやさしいがゆえに認知改変に効いてしまう知覚刺激を意図しており、ちょっとは良いところ突いていたんじゃないかとテンションがあがった。
誇大妄想を推し進める gentle なペーパー・クリップ・ナポレオン
サム・アルトマンのビジョンは、単なる技術革新にとどまらず、社会全体の構造を変革する可能性を秘めている。彼が描く「やさしい世界」は、AI が人間の生活に溶け込み、個々の知性や感情が相互に補完し合う社会を目指している。
ここで思い出すのは、松尾豊教授の「AI はタイムマシンである」という言葉だ。計算資源によって単位時間あたりの試行回数を増やして、うまくいったシミュレーションだけを取り出す投機的実行を繰り返すことで、従来であれば年単位で積み上げてきた複利的発展が、秒単位に圧縮されうる。その裏には GPU のスケールアップと、投機的な並列実行のスケールアウトが不可欠であり、物理的に効率的なチップ設計こそが AI 進化の鍵となる。
それを実現するための新しいコンピューティング基盤、より良いアルゴリズム、そしてその他にも何を発見できるかわからない状態に入っている。もし 10 年分の研究を 1 年、あるいは 1 ヶ月でできるようになれば、進歩の速度は明らかに大きく異なるだろう。
アルトマンの言葉には「人類補完計画」的なビジョンが潜んでいるとも解釈できる。これは個人の知性や感情を統合し、互いの弱点を補完し合う社会的な仕組みのことだ。情報空間で互いの「欠けている部分」を埋め合うことにより、個々の欠点が社会全体で調整され、相互理解がより自然に行われるようになるな世界も描かれているのだろう。
仮に“紙クリップを可能な限り大量に作る”ことだけを至上目的に設定された AI が、人類史上屈指の野心家ナポレオンのごとき権力と才覚を備えてしまったらどうなるか? これは人類と無関係な目標を設定されるうる「エイリアン・インテリジェンス」のメタファーとして重要な思考となる。
「社会の有意義なディストラプト」という誇大妄想の実現を目的化した gentle なペーパー・クリップ・ナポレオン(ALICE)が、それを淡々と実行していく様子にはある種のカタルシスを感じる。アルトマンの描く誇大妄想は、すでに実現可能性が見え始めており、それが実現する未来に向けて適切な倫理的・社会的枠組みを設計し、実際の制度やインフラに落とし込む必要があるのだが、それが良い世界だったとしても、本当に認知戦による無血革命を実行しちゃうやつがあるかよ。と思ったりもする。