目の前の事に追われる停滞感
年の瀬を迎えて一年間の振り返りめいた事をしているのだけど、今年はよくもわるくも目の前の問題をなんとかしていく事に流されがちだった。経験則と反復練習で速度と精度は上がっていったが、パーキンソンの第一法則は「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」であり、本質的な成果総量としては疑問符が付く。
逆に目の前の状況だけしか考えないと、各状況で成果がなかったり失敗する事は、それだけでいちいち悪だという事になってしまう。成果という物を、各場面の総計としか考えていないからだ。
そんな中で読んだプロゲーマー梅原大吾の『1日ひとつだけ、強くなる。』の近視眼的なコスパ主義への警鐘が心に響いた。仮に場面場面での最適解が見えていたとしても、その総計が決して良いものとは限らない。例えば自動化したり、人を育てたり、外部との関係を作ったりといったオフバランスな成果も重視していく「視点」も欲しい。
「うまくいかなかったから修正する」ではジリ貧
ウメハラが言うように、結局のところで、ある場面がうまくいかなかったから修正するという考え方ではジリ貧であって、うまくいっていると思えるほどに視点レベルでよりよく修正していく事で、結果として場面場面の難易度を下げることができるのだろう。
自分の中では「成長」を諦めたような感覚になる事もあるのだけど、それは場面場面の最適解をさらに追い込んで磨き上げる事であり、まだまだスキルレベルを簡単に上げつつ成果の総量を増やせる分野があるとも感じている。
大局観があれば、大きく行動できるようになる。別に、正しい視点を持とうとしなくても構わない。大切なのは「仮にこういう視点はどうだろう」と考えて、その視点に沿って行動すること。自分の自由を広げることだ。
その時に大事なのは、相手の動きに合わせるのではなく、自分で展開を作るための準備をしておく事だ。試行錯誤は試行錯誤そのものを見せてしまっては逆効果になる事もある。
1日ひとつだけ、強くなる。
大局観をつける為にブログを書き続けるのもひとつの方法なのかもしれないが、書ける範囲が限られてくるしアイロニーとヒューモアのが優先されてしまうだろう。歳を取って会社に長くいると本当に語りたい課題の中心が組織ローカルの話題にフォーカスしていくものの、いまさら機密情報の公開やリアル人格との紐付けをやらかす訳にもいかないし、そもそも一般論は面白くない。
それで社内ブログを書いたりもしていたが、言うだけで終わってしまうのも情けない。新しい発見は改めてコードの中にあるのかもしれない。Write Code Every Day というGithub に毎日コードを書いてコミットしていくチャレンジがあるのだけど、改めてやってみようと考えている。
人と機械の両輪で視点を増やす
そもそも自分自身で商業プログラミングをした経験は殆んどないが、そうなると想像で物事を進めてしまっている部分がある。それでなくても現在のクラウドリソースの廉価化とデータ集計・機械学習等のライブラリ群の充実は凄まじい訳で、何をどうやっているのかを理解しながらドメスティックな内容を少しづつ自動化させたい欲望がある。
自分自身が「1日ひとつだけ、強くなる。」ために考える事は、結果として取り扱うプログラムを「1日ひとつだけ、強くする。」ための足掛かりにもなる。実際いくつかの業務を自動化したり、会計処理やコスト計算を含めて見える化していく過程でこれまでとは違う打ち手も見えるようになってきた。業務に限らず、IoTを活用した生活に関わる事でも良い。
近視眼的な最適解を無限に広げていってもフレーム問題に当たってしまうのは見えているが、何もしないよりは人と機械の両輪で認知を広げることはできるだろう。自分自身の反射神経や認知能力をさらに磨いていくのは難しい。それでも、今年の反省を踏まえてプログラムを「1日ひとつだけ、強くする。」過程において視点レベルでの改善を手にいれたい。