太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

エンジニア組織はその時一番強い奴をマネージャに選んで破滅しがちな部族

エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング

エンジニア組織のマネージメントは難しい

 諸々の経緯の中で中間管理職としての日々を送っているのだけど、ちょっと失敗したなと思う時がある。自分自身が他者と上手くやっていくというよりも、強引に手を動かして解決してしまう方だったし、技術ができる人にリーダーもやらせてみる人事が多かったが、正直あまり上手くいってない。

 そこで思うのはエンジニア組織はその時一番強い奴をマネージャに選んで破滅しがちな部族なのだという事。「強い」というのには色々な側面があるけれど、エンジニアにとっての分かりやすい強さは各種技術の習熟度合いや解決思考に依存する事が多く、組織のしがらみから距離を置いてきたからこそ身につけやすい側面がある。

 そういう志向の中からマネジメントを任せていくと、その瞬間の本人や周囲の納得感は得られやすいのだけど、どうにも単純に自身の仕事の延長線上で解くべき問題が大きくなっただけだと捉えて、本来のマネジメント業務を「自分を集中できなくする雑務」と半ばボイコットして組織も本人も雰囲気が悪くなりがちだ。

他者を使って物事を成し遂げるのがマネージャ

 そもそも、マネージャの仕事は自分だけでは出来ない大きな物事を組織内外の他者をうまく活用して成し遂げることであって、自身がケツを持つ側面は重要視すべきでもないし、それを期待するのは過労に直結する悪夢だ。

 マネージャ自身が絶え間ない努力と残業で生産性を50%上げるよりも、10人の生産性を10%づつ上げる方が結果として価値があるし、売上や利益に繋がらない事をやらないと判断・交渉すれば生産性の議論そのものを消せる。

 本来的な意味でのエンジニアリングは組織論や交渉力にも含まれているとも思うのだけど、自分自身の事を考えるほどに強引に手を動かしてしまうし、それが有効な側面もある。例えば、どの部門が負担するのか社内政治や理論武装を駆使して交渉するよりも、夜なべして作った自動化ツールを前提に話した方がスムーズに物事が進んだりもする。

舐められない程度の技術力が必要な部族である事は認識する

 自分自身の事を考えても、本当に技術の事が分かっていない上司を見下していた事があるし、ちゃんと働けていたのか疑わしい。戦国時代であってさえ、戦乱がそれなりに落ち着いた中では統率や政治や築城のが重要視されてきたのであろうが、「舐められないように」武芸を磨くような文化が残り続けていたと想像される。

 エンジニア組織にはまだまだ部族のような側面があってマネージャにもはある程度の技術力が求められるのは前提として、それ以外の部分をやらせてみたり、伝えてみるなかで見えてきた部分から考えないとダメだと改めて思う。そもそも自分からして細かく手を動かしすぎているという自戒を込めて。