切符をなくさないように
村上春樹おじさんのエッセイ集である『村上朝日堂 (新潮文庫)』を少しづつ読んでいるのだけど、その中にある「電車の切符を耳の穴に入れる」という話が頭の中に残っている。曰く、切符をポケットにいれて失くしてしまいがちなので、切符を失くさない方法を真剣に考えた。
理論的にはこれはとても簡単な事である。つまり①どんな服装をしていても普遍的に存在し②出し入れするのに手間がかからず③そこに切符を入れたことを決して忘れない場所、をみつければいいのである。
これに適合する場所は案外難しいのだけど、最終的に「耳の穴に切符を折って入れる」ことを思いつく。小説のなかの行動ではなくて、村上春樹自身の現実の行動として、である。それでギョッとされたり、怒られたりを繰り返してやめてしまうのだけど、逆にいえばそのぐらいは繰り返していたというのが「自分独自のやりかた」に頑固な感じがして面白い。
現代においては切符を折ったら自動改札機に通らなくなってしまうし、そもそも固い厚紙だから耳の穴に入れるのも難しいだろう。SUICAなどの非接触ICカードを常備している人も多い。私自身は『薄い財布 abrAsus × Giacomo Valentini チョコ メンズ 財布 プレゼント ギフト 日本製』をマネークリップ代わりに使っていて、そこにSUICAが入っている。切符を耳の穴に入れるなんて事はそれが可能な時代すら限定されていたのだけど、その過渡期的な独自運用というのがバカバカしくも味わい深い。
バッドノウハウ
例えばプログラミングの世界において、こういう「耳の穴に切符を折って入れる」に類するようなバッドノウハウというか、「自分独自のやりかた」が使われる事も多い。これを抑えるために仕事などではコーディング規約が決まっているのだけど、今度は「会社独自のやりかた」になっていて、それを外部の人が見ると卒倒しそうになる事もある。もちろん慣れや統一感による恩恵もあるのだけど、低い方に合わせて非効率的になる場合のが多い。
仕事術やライフハックなんかもそうだ。もちろん一定の相関はあるのだろうけれど、記事として拡散しやすいのは逆説的だったり、特異なものになりがちだ。それをカスタマイズしたりして自身に適用しようとするとき「自分独自のやりかた」そのものに価値を見出してしまってないかというのは点検する必要があるのだろう。iPhoneアプリをそんなに連携させてどうするのかとか。ダイエットも恋愛も。
メタ認知ができているか
独自のやり方であってもそれを完遂すれば、なんらかの成果がある事も多いのだろう。切符を耳の穴に入れて運ぶライフハックも「切符をなくさない法則」を満たしているし、時代が変わるまでは人の目がなければ完遂できたのかもしれない。つまり法則④や法則⑤を見落としていたということ。「たったひとつの冴えたやりかた」を考えるほど、事前に認識できたパラメタのみを最大化してしまうところがあるのだけど、そうじゃない要素も必要だと分かってから壊れやすい。
『村上朝日堂 (新潮文庫)』では、先ほどの「切符をなくして耳の穴に入れるようにする」話だけで6ページも使っていて、本当に内容がないようなのだけど、情報量の少なさ自体が、考える時間をくれたり、癒やしを産むこともある。こういった「喉越しだけが気持ちよいビール」のような文章というのは僕自身も憧れる。