太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「老害の本質」は正しいフィードバックを受けられないまま固定観念を強めて他者に「呪い」をかけること

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photo by Tiggrrr42

老害の本質

大学の恩師に会社辞めたいって言った。
とりあえず5年がんばれという定番の説教をくらった。
これまでお前みたいな学生をたくさん見てきた。お前とは経験が違う。
そういわれてしまうと反論できない。
誰にも分からない未来の話をするとき、経験の寡多を問題にするのは卑怯だ。


 読みました。「老害」的な考え方については仕事をはじめとした様々な場面で相対することがありますし、私もある意味では「老害」扱いされても仕方がない事をしている自覚があります。

 例えば、基幹系システムの運用開発においては既に多数のステークホルダーを巻き込んでしまっており、「失敗しない」が最重要視されます。その前提においては、僅かに生産性を上げるためにやりかたを変えて、そのトレードオフで失敗の確率を上げるぐらいなら短期的には不合理であってさえも現行踏襲を選ぶべきだという保守的な意識が強いです。『進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)』でいうところの駐屯兵団のようなものですね。

 そんな状況においてエンジニア的楽観や全能感を使って調査兵団のような事を言われるとドス黒い感情が湧き出ることを自覚する事があります。「お前のクビひとつじゃ足りないんだけど?」っていう。そして、その感情を成就させる時に反証可能性を開示した「論理」によってではなく、「経験」という反証可能性が低い根拠をつかってしまうのが「老害」と言われる人々なのだろうなと思いました。

老害が「害」なのは予言の自己成就機能をもっているから

 元増田についても「誰にも分からない未来の話をするとき、経験の寡多を問題にするのは卑怯だ」とあります。しかし、「本質」はそこにはないと思うのです。別に経験の多寡*1に違いがあったところで無視すれば良いじゃないですか。

 ここで、問題となっているのは、それに従って行動を変えてしまう元増田であり、それを意図して説教する恩師です。元増田が別の道を選んだ時に恩師が自身の意図と異なった事を理由に「絶対うまくいかない」となじったり、本来は行えたアドバイスを放棄したりして、失敗確率を高めてまで「だから言ったろ(ドヤ」を実現しようとしてしまう意識的・無意識的な「呪い」こそが、老害の「害」たる本質です。

 その上で仕事であれば、上司が握っている情報を任意に遮断や曲解して伝えられれば、部下には正しい答えが出せるわけもありませんし、やりかたに従わなかった事を理由にして、そのまま査定に響かせることもできます。「自身が正しい」という事を証明するための寄与を握られてしまっている場合においては、「老害」に従わないと予言の自己成就機能によってトータルで悪手になる可能性が高くなるという現実があるがゆえ「害」になるのです。

やはり俺の相談相手は間違っている

 「相談」とは他者に積極的に呪いを掛けられにいく行為です。相手からすれば善意であっても、どう考えても不合理な結論を言われることはあります。知っている情報や解釈の癖が違うのだから当然です。そんな時に「それはありえない」と思っていようが、こちらから相談しておいて相手の言う事を無視するというのはなかなか骨の折れる作業です。

 かといって相談をしなかったら「なんで相談しなかったのか?」という事を理由にして「呪い」を掛けられる場合があります。ここでいう「なんで相談しなかったのか?」には「なんで私の言う通りにしなかったのか」を内包しており、相談内容がどんなものであっても「やはり私の言うことを聞かなった判断は常に間違っている」が故に、その「間違え」を自己成就させようと動かれてしまうのです。

私の考えた法則に従わないのはどう考えてもお前らが悪い

 人には一貫性の原理があり、これまで正しいと思っていた自分なりの法則を改めるのは難しい側面があります。ある法則は歳を取るごとに、個別事例が集まって帰納的に固定化していきます。そんな時に反例が出そうになると固定観念化した法則の方を守ろうとして、個別事例を握り潰してしまおうとするから「老害」なのです。

 それは学者としてはあるまじき行為ですが、ビジネスにおいてはしばしば行われていることです。そして「法則」は先の通り、「私の言うことを聞かなった判断は常に間違っている」のようなメタ判断があり、さらには「ダメ出しをするのが上司/クライアントの仕事」という固定観念を持っている人すら珍しくありません。すると逆張り後出しジャンケンばかりして現場を混乱させてまでメタレベルでの一貫性を守って、「私がいないとまだまだだな」なんて本人は思っていたりもするのです。

 そのようになると、意図的に最良の結論とは異なる噛ませ犬資料を作っていって文句を言わせて、それを直して本来の姿に戻していくうちに時間切れに持ち込むといったバカみたいな作業工程が常態化していくようになります。ちきりんが『2013-10-15』と書いてますが、そんな事をして生産性なんて上がるわけもありません。これはデザインのように「正解」がない分野では特に行われているように思います。

老害が「害」を為せるのは「権力」とセットになっているため

 人は他者への権力を持つとそれを必要以上に使いたくなる人と、そうでない人がいるのですが、過去の世代においては前者の比率のが圧倒的に多いように思えます。仕事を休む理由を詳細に聞き出そうとしたり、無理矢理飲みに連れて行ってプライベートについてまで下衆なアドバイスをしようとしたり。

 他者への寄与をもってして自身の存在価値の根拠にしようと無意識に考えていると、得てしてハラスメントになっていきます。そして条理によってではなく仕事上の権力によって一時的に納得したフリをされるようになると、客観的な「正しさ」が不定値のまま、「正しいこと」として自身にフィードバックされて、その観念をさらに固定化します。

 これは恋愛関係の法則などについても成り立っています。その「恋愛テクニック」そのものは凄く歪だけど、イケメンだからとか可愛いからだとかで言う事を聞いているというフィードバックが続いた場合において、「テクニック」の方が正しいものとして自身の中でひとり歩きして、それをドヤ顔で開示すると皆がドン引きみたいな事態です。昔はモテていたのに歳を取ってから急激にモテなくなった人は、そういう傾向が強いように思われます。

ぼくのかんがえた老害の本質

 つまり、上司であれ、恋人であれ、親であれ他者を本質的に納得させないまま、その文脈に発生した別の権力によって一時的に譲歩させる経験が多いと、誤った可能性の高い法則に対してまで帰納的に証明できていると考えて固定化してしまうのです。そもそも論理によって演繹的に積み上げられたものではないため自省による反証可能性も低いですし、まさに無能な人は無能であるが故に自身が無能であることに気付けないまま固定化していきます。

 そして、さらに自信を深めて歪化した「法則」について、その条理でない部分の権力で従わせて他者を相対的無能化させながらも、それに気付けないスパイラルによって害悪をまき散らすようになること事こそが老害の本質なのです。

ピーターの法則

 人が相対的に無能化していく事については「ピーターの法則」で説明がされています。

  • 能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な平(ひら)構成員も無能な中間管理職になる。
  • 時が経つにつれて人間はみな出世していく。無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。
  • その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人間によって遂行される。


ピーターの法則 - Wikipedia

 よって無能化するのは当然のものと受け入れて、その上で自身については正しいフィードバックが受けられるように状況を整えたり、任せる範囲を増やしてみたり、逆にそうなってしまっている人がいれば権力範囲を認識してうまく操縦するように考えるのが良いのではないでしょうか。

「呪い」の本質

 老害化は「経験に基づいて、自身は正しい」という思い込みによって成立しているわけですが、その被害をうけた側は「経験のない自分は誤っているのだろう」と過剰に疑ってしまう「呪い」によって成立しています。過剰に疑いながら行動すれば、上手くいくものも上手くいかなくなってしまいます。

 しかし、現在のコンテキストでまで「正しい」ことなのかについてはゼロベースで根拠を積み上げるべきです。ただし、変数の取捨選択については細心の注意を払う必要があり、また条理としての正しさよりも費用対効果を優先すべき場面のも多い事も意識しておく必要があります。老害化したステークホルダーも変数として重要なのは前述した通りです。

 「私は経験がないから、無力で、無能である」が故に誤っているのではありません。正しいか正しくないかについての情報が足りず、それを論理によって積み上げられないから誤っている可能性が高いのです。老害の言う帰納的な法則はあくまで帰納であり、考えるためのキッカケや統計的判断には使えますが、個別事例についてはそうと言い切るのには別のプロセスが必要です。

「呪い」の解呪

 そして「真の正解」なんてものよりも、故にどうすれば良いのかという具体的なアクションを考えることです。答えがどっちか分からなければ詳細な比較検討にコストを掛けるよりも両方やった方が費用対効果的に正しい場面もありえますし、主効果Xを説明して行動Aをすれば本来狙っていた副次効果Yを発生させる事も出来ますし、松竹梅の選択肢を用意して意図した通りに選ばせるなど方法は色々とあります。

 それでも失敗してしまったら、呪詛を吐くのではなくて素直に自身の法則の方を書き換えましょう。「老害だから誤っている」というメタ判断はまさに老害化している自身へのブーメランです。あくまで反証可能性を増やし、うまくやり、それが一定の範囲では正しいことだったのかについてのみを問題としましょう。

 帰納で法則を作ったひとは大量の反例に弱いのです。眼前の結果を見せ続けられてまでも自身の殻に閉じこもり続けるような人はそもそも呪術者失格なので、そんな呪いは無視できるようになるでしょうし、それで降格するような会社であれば未来は望めないので転職を検討した方が得策なように思えます。そうしたことが、この「呪い」を解呪する方法なのではないかと考えています。

*1:「寡多」って言葉はないよね?