photo by Rev. Xanatos Satanicos Bombasticos (ClintJCL)
自罰的コミュニケーションには一過性の効果がある
「自虐ネタ」と「自罰的コミュニケーション」というのは少し違っていて、自虐ネタは自分を論理的に落としてあくまで笑いに転化するためのものですが、もっと物理的に落として相手の譲歩を引き出す感じのコミュニケーションを自罰的コミュニケーションと考えています。
先のエントリでだした「トラブル時に昼飯を食べない」や「リストカット」などもありますが、相手の趣味を無視した「プレゼント」「おごり」なんかも自罰的コミュニケーションに転じやすかったりします。AではBしろってのを覚え込んで実行していると、債権残高がどんどん高くなって「こんなに苦労してるのに」となり、相手もそれを意識して「答えなきゃ」「気持ち悪い」と思って関係性がおかしくなりがちです。
自罰という権力発生源
それでも自罰には他者に「こんだけ苦労させちゃったんだから」「そこを否定したらこわい」と思わせる効果があり、それは行動自体の正しさを不定値にしたまま従わせる権力を発生させます。これは老害が「害」となるメカニズムに相似します。
他者への寄与をもってして自身の存在価値の根拠にしようと無意識に考えていると、得てしてハラスメントになっていきます。そして条理によってではなく仕事上の権力によって一時的に納得したフリをされるようになると、客観的な「正しさ」が不定値のまま、「正しいこと」として自身にフィードバックされて、その観念をさらに固定化します。
これは恋愛関係の法則などについても成り立っています。その「恋愛テクニック」そのものは凄く嫌だけど、イケメンだからとか可愛いからだとかで言う事を聞いているというフィードバックが続いた場合において、「テクニック」の方が正しいものとして自身の中でひとり歩きして、それをドヤ顔で開示すると皆がドン引きみたいな事態です。昔はモテていたのに歳を取ってから急激にモテなくなった人は、そういう傾向が強いように思われます。
結局のところで、「こんだけ苦労させちゃったんだから」「そこを否定したらこわい」ってところから引き出したものはうまく続きません。それでも苦労してマニュアルどおりに動いてる事を認識すると「こんだけ苦労させちゃったんだから今回はいいよ」まではうまく駆動してしまうことはあります。
そうなるとある程度までは実績が積み上がるため、自身に魅力があるとか、主張自体が正しいと思い込んでしまう厄介な事態が起こってしまい、そこのズレを相手が感じ取ると急激に醒めてくるので続かないのでしょう。
もっともワンチャンはワンチャンなので、それで満足できるならよいのかもしれませんし、最初からそれを狙ってる人もいるのではないかと思います。一時的な譲歩とはいえ「譲歩をさせている」という事実にも注目すべきではあると思うのです。
継続性と一回性
私自身は継続性を重視する傾向が強い人間ですので、結果として「途中で辞めそうなことは、最初からしない」という「選択と集中」をしていたことが多かったように思います。「始まる前から終わる」ってのはそういうことです。フローよりもストックを重視するということですね。
だからといって本当に継続するのかというのは別問題だったりもします。そもそも経験値不足の中でどうやって「選択」するのか?って話ですし、色々な領域において関心範囲が狭いが故に水をやりすぎて枯らせてしまうような事ばかりしてしまっていたのではないかと思うこともあります。
一度に得ることと継続して得ること
そして一度に100万円を得ようが、10万円を10回得ようが本質的には差がありません。確かに後者の方が11回目が簡単になる可能性が高いとは思うのですが、それだって状況しだいです。むしろ後半5回は8万円になってしまう可能性もあるし、労力がどんどん増えていく可能性もあります。
朝三暮四とはいいますが、正確な未来予知ができない限りは朝三を取っておいた方が良い場合も多いのです。愛や承認は食物と同じで一度に大量摂取するみたいな事はできませんが、それでも先の事ばかりを考えてゼロよりはマシという事態はあるのでしょう。暮四についての債権感が自罰的コミュニケーションに使われてしまう事もあります。
だからなんだという話ではないですし、いまさら土下座外交とかもないのですが、「選択と集中」や「継続性」を前提としたパラダイムで「勝つ事よりも勝ち方にばかり拘る」という事を固定化している自分も危ういんだなーと思いました。