LLM 使いこなしまくり異常値ユーザーは強化人間なのか?
LLM使いこなしまくり異常値ユーザーのことを強化人間って呼んでる人私だけ?一番ぴったりな呼称だと思うが(あるいはニュータイプ?) https://t.co/8OU7fUfVtg
— とりしま (Sub I/O) (@iotorishima) 2026年1月3日
X(旧 Twitter)で見かけたこの投稿に違和感を感じた。元の投稿を辿れば LLM に壁打ちすることで自分自身のメタ認知力だったり自己理解だったり知識だったりが鍛えられていることを「使いこなし」と表現していたのだが、この文章からは単純に画像生成 AI や文章生成 AI を駆使して生産性を高めている人々を「強化人間」と呼んでいるように読めたからだ。
思い起こせば僕自身にもクイズマジックアカデミーや資格試験のために大量のクイズ問題を連続で解いてきた経験があり、一種の副作用として人間 LLM 的な情報処理能力が身についたのかもしれない。人間強化学習によって生まれた悲しき強化人間だ。
僕自身としては、競技クイズや大量読書などの訓練を通じて「自身を LLM 化」した令和人文主義的な人々を「強化人間」だと感じていた。LLM を使い倒すのではなく、さまざまなトリガーから蘊蓄を無限に出力する LLM のような振る舞いをする人々だ。同じ「強化人間」という言葉で、「外部ツールを使いこなす強化」と「内面を改造する強化」という、正反対の方向性を指している。
この二つの方向性は、現代の LLM の二つの使い方に対応している。「エージェント LLM」として AI に作業を代行させるか、「イネーブルメント LLM」として AI を訓練支援に使い自らを改造するのか。これは『マトリックス』の赤い薬と青い薬に似ている。
「青い薬を飲めば… 物語はそこで終わりだ。自分のベッドの上で目覚めて、そこからは自分が信じたいものを信じればいい。赤い薬を飲めば… 不思議の国にとどまることができる。このウサギの穴がどこまで深いのか見せてやろう」
超人・ニュータイプ・強化人間——能力拡張の三つの系譜
人類の能力拡張を描く概念には、長い思想史的系譜がある。ニーチェの「超人(Übermensch)」は、既存の道徳や価値観を超越し、自らの価値を創造する存在である。神の死後の虚無を乗り越え、自己超克を通じて新たな価値を生み出す。重要なのは、超人は外部のツールによってではなく、内的な精神的成長によって到達される境地だという点だ。
ガンダムの「ニュータイプ」は、この超人思想と共鳴しつつも、異なる思想的背景を持つ。富野由悠季監督が実際に言及しているのは、ニーチェではなくヘーゲルの「アウフヘーベン(止揚)」であり、人類全体を一挙に底上げする進化の概念を指すとしつつも、戦場でのモビルスーツの利用を前提に個人としての特異点的な能力拡張も描いている。
そして「強化人間」はニュータイプとの対比として薬物投与や催眠療法、洗脳といった非人道的手段によって、人工的にニュータイプに近い能力を獲得させられた存在である。プルシリーズやフォウ・ムラサメなどの強化人間は、訓練と薬物によって能力を拡張されるが、その代償として精神的不安定さを抱える。そして彼らもモビルスーツという外部ツールの利用を前提としている。
| 道具持ち込みなし | 道具持ち込みあり | |
|---|---|---|
| 自然的成長 | 超人 | ニュータイプ |
| 人工的成長 | 人間LLM的強化人間 | 外部ツールを使いこなす強化人間 |
これをマトリクスで整理するとこのようになる。つまり現代の「LLM を使いこなす強化人間」にはイネーブルメント LLM を活用して能力を内面化する側面とエージェント LLM を使いこなせるようになる側面の二つがあり、先ほど触れた『マトリックス』における青い薬と赤い薬の選択にも通じる。
イネーブルメントとエージェントの違い
そもそも、イネーブルメント(訓練支援)とは、「できるようにする」という意味であり、一般的には研修や資料を通じて、専門的な能力を獲得することを支援する仕組みのことだ。対してエージェント(代行)は結果が欲しい人間に代わって他人またはAIが実行し、それを使役する人間は管理能力を獲得しつつも、専門的な能力自体は獲得できないことが前提となる。
たとえば、藤井聡太は将棋の研究のために日夜 AI を活用しているというのが、対局の場に AI を持ち込まない。つまり、AI は彼の訓練を支援するが、対局における主体はあくまで藤井聡太本人であるため、将棋 AI はイネーブルメントして利用されている。その一方で、一般人がオンライン対局等において将棋AIの指示通りにすることでランキング上位に迫るのはエージェントとしての利用となる。
競技クイズや将棋においては、暗黙的に「外部ツールの使用」が禁止されている。だからこそ、訓練結果を内面化し、そらんじることが求められる。しかし、実社会における知的労働の多くは、そうした制約を持たない。むしろ、文章執筆、コード生成、情報整理、画像生成といった作業において、適切に外部ツールを使いこなすことも評価対象となっているため、両者の区別が曖昧になっている側面もあるが、今後において特に意識していく必要があると考えている。極論を言えばスキルも脳に直接ダウンロード可能になるのかも知れないが、『マトリックス』においてもカンフーシーンは仮想空間のものであることには留意したい。
イネーブルメントとしての LLM 活用サービスの広がりと限界
AI面接サービスを開発するPeopleX(ピープルエックス、東京・新宿)は2026年1月に人工知能(AI)が商談や接客のロールプレイング相手になるサービスの提供を始める。AIが営業やコールセンター業務を代替するサービスも順次開発する。
2026 年 1 月、PeopleX が AI ロールプレイングサービス「PeopleX AI ロープレ」の提供を開始した。AI が商談や接客の練習相手となり、終了後には評価と改善点を提案する。あくまで営業現場という人間同士のやり取りを想定した訓練支援ツールであり、AI が商談を代行できない局面における人間的強化を目的としている。まさにイネーブルメントという言葉は営業の文脈でよく使われてきたものだ。
一方で、AI が営業やコールセンター業務を代替するサービスも順次開発する予定としており、イネーブルメントからエージェントへの移行についても示唆されている。AI エージェントが契約成立までするのであれば、人間としての営業力強化どころか雇う必要すらなくなる。中間地点としても、オンライン商談での気の利いた返しがAIにサジェストされたり、表情を補正して先方に映すなどの事前訓練を不要にする機能が拡張されていく。
最後までイネーブルメントが残りそうなのは「恋愛・婚活」という分野だ。もちろん、AI 彼女そのものに満足し、現実の恋愛を諦める方向性もあるが、基本的にはAI 彼女をロープレ相手として訓練し、対面での本番に備えた恋愛スキルを磨くことになっていくだろう。現代の一般的な恋愛相手が「AI 利用禁止」を暗黙的なルールとしているからに過ぎず、それもまた過渡期的な文化規範かもしれないものの、「適切に訓練された自然な状態」をパートナーに求める本能は根強いと思われる。
強化人間の代償——精神的不安定さという宿命
ここで忘れてはならないのは、ガンダムの強化人間が必ず抱える「精神的不安定さ」という代償である。プルやフォウ・ムラサメは、人工的な能力拡張の代償として、精神的な崩壊のリスクを常に背負っていた。現代の LLM 依存型強化人間も、同様の代償を払っている。エージェント LLM に依存し続ける者は、AI なしでは思考できない不安を抱える。自分の能力なのか AI の能力なのか境界が曖昧になり、主体性の実感が失われていく。AI が使えない状況に置かれたとき、自分が何もできないことに気づく恐怖。これが現代の「精神的不安定さ」だ。
一方、イネーブルメント LLM を使う者も代償と無縁ではない。訓練の過程で AI に依存し、その後それを手放さなければならない苦しみがある。AI という便利な道具を使えるのに、あえて使わずに自力で戦うという縛りプレイを強いられる。藤井聡太は対局で AI を使わないが、それは美徳ではなく、ルールによる強制でもある。
さらに、強化が一般化すると最低ラインが上がってしまう問題がある。整形が一般化した社会では、整形しないことが「怠惰」と見做される。ドーピングが蔓延したスポーツでは、クリーンな選手が勝てなくなる。同様に、LLM による強化が標準化した知的労働市場では、AI を使わない者は競争力を失い、「強化しない」という選択肢自体が失われていく。
強化人間として生きる——代償を理解した上での選択
自然な才能が乏しいのに時代に適応せざるをない大多数の僕らは強化人間として生きるしかないのだろう。重要なのは、自分が何者でありたいかを見極めることだ。専門領域、主体性を発揮したい領域では赤い薬を選び、AI で訓練して能力を内面化する。その代償として、訓練の苦しみと AI を手放す覚悟を引き受ける。一方、非専門領域や単純作業では青い薬を選び、AI に代行させる。その代償として、その領域では主体性を放棄し、AI 依存を受け入れる。
退職代行、内定辞退代行、別れ話代行……。これらは現代人の「言いにくさ」や「気まずさ」を代行するサービスだ。対人ストレスや感情的摩擦は、もはや“自力で乗り越えるもの”ではなくなりつつある。代行してくれる人に金を払えば済む。いや、金を払ってでも逃れたい。そんなニーズが社会的共感を得る時代になった。いま、私たちは「情緒のアウトソーシング」という局面にいる。「めんどくさい」が商品になり、「言いたくない」はサービスになる。
(中略)
このまま情緒の委託と回避が進めば、社会は「気まずさを知らない人材」で埋め尽くされる。摩擦も失敗も不快も経験しない社会人──そんな構成員が作る組織は、果たして強靭だろうか? だからこそ必要なのが、安全に痛く不快やジレンマを経験させるAIコーチングを提供する「VRデジタル戸塚ヨットスクール」であろう。
令和に生きる知的労働者は、どこかで痛みを回避しつつも、どこかで痛みを受け入れる強化人間にならざるを得ない。エージェント LLM(高性能代行機)とイネーブルメント LLM(強化人間製造機)という二つの道具を手に、青い薬と赤い薬を使い分けながら生きていく。強化人間が精神的不安定さという代償を払ったように、僕たちも何らかの精神的失調を抱え続けるのかもしれないし、それすらも乗り越えるためのイネーブルメントやエージェントが開発されていくのかもしれない。何にせよ、主体性は二者択一ではなく部分部分に宿っていくことになるのだろう。

