太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

若い女性にアタックし続けるおじさんは価値観の任意スクロールと年齢の強制スクロールに挟まれたなれ果て

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

山寺宏一の歳の差婚に感じるザワザワ

 山寺宏一が31歳年下で元THE ポッシボーの岡田ロビン翔子と結婚した事が話題になっていた。歳の差婚自体に思うことはあまりないのだけど、同じような年代の人との3回目の結婚ということにザワつきを感じている。

 もちろん、山寺宏一自体はそれだけ好まれやすいから結婚しているのだろうが、どうしたってマッチングアプリ体験記に出てくるとにかく若い女性にいいねを送り続けるおじさんの話を想起する。

 そういうおじさんを馬鹿にしていたのに、自分自身がそうなりつつあることへの恐怖も感じる。25歳ぐらいの時には30過ぎの人を好きになっていたし、年上のしっかりした人のがいいって言われ続けてきたが、いつの間にか自分の中にある「年上像」の年代を追い越していた。29歳の葛城ミサトをいつまで経っても年上だと感じていたり、熟女AV女優のが年下になっていたようなものだ。

価値観アップデート失敗のなれ果て

 決して若い人を狙っているのではなく、好ましく思う絶対値が変わらないまま相対的に歳をとってしまった被害者意識のような感覚もある。恐らくは配偶者と一緒に歳を取ったり子供が生まれることで価値観がアップデートされていったり、そもそも性愛と家族愛の分離が行われていくものなのだろうけれど、そうならないままきてしまった。

 あくまでの結婚の有無などはきっかけに過ぎず、ずっと独身だからおかしくなったという話をしたいわけではないのだけど、自身の年齢はさておいて一定の年代を見てしまうのは、価値観アップデート失敗のなれ果てだと考えると説明がつく。絶対値としてはブレがなくても、ここから先は歳下好きの痛いおじさんになってしまう加害性について自覚的になっていくべきなのだろう。

価値観の任意スクロールと年齢の強制スクロール

 先送りをしきれなかった社会の構造的欠陥を露呈させる主義なき爆弾の連鎖は実行者の意図を外れて、タイムリミットを超えた現状維持を引き伸ばす破滅に導きうる。それに抗うべきなのだといった教訓めいた結論をだせないまま「お前で末代」を結果として甘受しようとしている自分自身の中にある消極的なテロルに気付く。

 『令和元年のテロリズム』の読書会において、「強制スクロール」という言葉が話題になった。学校があって就職があって昇進があって結婚があって育児があって、それぞれの困難とそれを乗り越えるための成長や価値観のアップデートが求められていくのが人間社会なのだけど、どこかで任意スクロールに転じやすくなったのが現代である。

 不登校であれ、ニートであれ、非正規雇用であれ、独身であれ、DINKSであれ。挫折による強制停止もあれば、輝かしい任意停止もありうるのだけど、どちらにせよ自分自身の肉体的な加齢までは止めることができない。価値観の任意スクロールと年齢の強制スクロールの不整合が起きやすくもなったのが平成という「先延ばし」の時代を象徴する。

 例えば50歳の親が20歳の引きこもり息子の面倒をみることは可能であっても、平成の30年間で現状維持の先延ばしを続ければ80歳の親が50歳の子供の面倒をみることになり、破綻するといった問題が語られたが、異性の観点もある。

なれ果てとなってから生き方

 自身のことを翻ってみるに普通に働いて、普通に遊んで、普通に生活しているわけで、特に生きづらさを感じてないどころか、コンフォートゾーンに浸かっているとさえ言える。しかしながら、スーパーマリオでいえば5-4ぐらいでフリーズしてしまう選択肢を選び続けてしまったと思い返すことはある。

ということは、 早く「大人」になることができれば、自分の背中を預けるにふさわしい異性をパートナーとしていち早く意識できるぶん、巡り合える可能性も高くなる ことでしょう。逆に「大人」になるのが遅れた人は、そのような信頼できる異性をパートナーとして意識するのが遅れて、そのぶん、巡り合えるチャンスも少なくなることになります。  

 もう少し早くこのような考え方に至れていればと思いながらも、大人になれるルートが少しでもあったのかと思うとなかなか厳しいし、こと性愛については意識的に価値観をアップデートするのは難しい。現在も新型コロナウィルスを言い訳にスクロール停止しているが、年齢の強制スクロールは絶対だ。だからなんだというわけでもないが、「おい、その先は地獄だぞ」と思えてくる。

 ノリで入籍して強制スクロールしたいと思ったりもするが、それをまだ見ぬ相手が思ってくれるは分からないし、倫理的ではないのかもしれない。