実録ナンパ師対決ものコラム
わざわざ恋愛工学徒とかナンパ師に会いにいって、食事をおごってもらいつつ、こんなダサい口説かれ方をしたとレポするパターンの記事をよく見かけるようになった。文章としての下世話な需要があるのは分かるし、実際にキモかったのだろう。
だけども恋愛工学徒とかナンパ師だと分かって二人で会おうとする時点で、自分の魅力はさておいても口説かれるものだろうし、下心をもった男は多かれ少なかれキモい。レポしてやろうと客観視してれば流されないだろうし、そういうテクニックを明言している人々に地力がないのは当然の帰結だろう。そもそも「対決」をしにいく時点で色々と無理だ。芸人に「なんか面白いこと言え」という空気を作るようなもの。
絶対にイカないオンナとしての絶対優位なガードポジションを取られながらも、義務的に切り込まざるをえない哀れな自称達人のポコタテ対決を読んでいるような気分になる。それでも巧みにガードポジションが崩されればエロ漫画っぽくてよいのだけど、そうなったらレポされないので歴史から抹消される。男性側がセイコウ体験だけを書き重ねるように、コンバージョン率ではなくコンバージョン数だけが歴史に残る。
「取材」としてのガードポジション
そこが下世話に面白いといえばそうなのだけど、靴下の臭いをわざわざ嗅いで「臭い!」と言ってるようにも見える。女性コラムニストの芸の肥やし修行として口説かれにいっているのか知らないけど、相手にサンクコストを支払わせながら「取材」としてのガードポジションを取ったら色々なことが鼻に付くのは当然だし、口説かれた自分に魅力があるわけでも、イカなかった自分がしっかりとしているという話でもない。
そもそもナンパも飛び込み営業もティッシュ配りも、数をこなすことで偶然的にそれを必要としていた人に当たることもあるという話であって、自分からそうじゃないタイミングを作っておけば容易にかわせるだろう。コミュニケーションテクニックについてのガードポジションを取りながら「くやしい!でも感じちゃう」的な魔法を期待しつつ、やっぱりそうじゃなかったという安心感を得たいという話なのだろうか。
実際、非モテ男子と話したときに「別の意図のあるコミュニケーション」に対する罪の意識が強すぎるあまりに「相手に楽しんでもらおう」という発想がないのと、そういう経験がないからこそ相手の女性を簡単に騙せるという前提で話が進んでいくのが面白かったのだけど、「面倒だから愛想が悪い」んじゃなくて「罪の意識があるから愛想よくできない」と言われるとふーむとなってしまう。そんな簡単に相手を「とろんッ…」とさせられるモテ必殺技があるという思い込みこそが人を馬鹿にしているのだけどね。
奇跡も魔法もないんだよ
実際には奇跡も魔法もなくて、コミュニケーションのテクニックは、コンバージョン率をほんのちょっと高めてくれることもあるだけだし、数をこなせ理論だとコンバージョン率を変えずに試行回数を増やしたり無理筋にも食い下がっているだけ。
モテテクへの期待値が高まり過ぎてるからこそ生まれる怖いもの見たさとガードポジション。一般的なコミュニケーションすら忌避したがる罪悪感。効果があるはずだからと食い下がる必死感など、幻想上の「魔法のようなテクニック」は全員を不幸にしているのだろう。
きみに出会ってから
色めきはじめたぼくは
侵略されるまいと、ただ
そんな器もないくせに
そういう意味では、無闇に高まった幻想の剥ぎ取り行為自体はよいことなのかもしれないし、自衛も必要だ。だけど、あまりに俯瞰症になってしまうと、まともな恋に酔うこともできない不感症になってしまうし、そういう事を書かれる可能性のある人と深く関わりたくないと感じる人もいるだろう。誰にも侵略されるまいと築いた城を万難排して優しく溶かしてくれる騎士なんていないんじゃないのかな。