サイゼリヤで初デートについて話した
サイゼリヤで初デートが云々とTwitterのTLでバズっていて、10年前から定期的に炎上しているし、その度にサイゼリヤオフ会をしていると思いながらもスペースで会話したので感じたことを記録しておく。そんなの「人による」としか言えないのに、初デートの定義や登場人物の年齢や関係性や経済状況などの観点を明らかにしないまま強い言葉が飛び交うことに面白味を感じた。サイゼリヤ問題からしか取れない栄養がある。
そもそも今回の盛り上がりの元ネタにおいて「初デート」なんて言われてないし、それなりの関係性こそが描かれているようにも見える。ただし、「〜で喜ぶ」という言葉には安いお店でも喜んでくれるチョロさのような物が滲み出ていて可燃性があるので、例えば「〜で楽しむ」であればそこまで問題にならなかったであろう。
互いに気を使わないでも良い彼女を夢想する非モテがキモいのは重々承知だけど、どこまで雑に扱えるかを試すためにファミレス呼び出しの朝マック解散なんて武勇伝を語る界隈にはあまり矛先が向かない不思議はある。なんにせよ、この絵やタイトルに性的資本のダンピングや搾取関係を想起し始める人々も出てくるのは分からんではない。そもそも奢ることが当たり前なんかい!ってのもあるが。
初デートの定義を知りたい
どこから初デートの話になっていたのかも分からないが、各々が想定する初デートの定義も異なる。特に「好意のない相手に安い店に連れてこられて」というシチュエーションがどうにも分からない。コトバンクで「デート」という言葉を調べてみると以下のような記載となっている。
- ② (━する) あらかじめ約束をして、異性の友人と待ち合わせて、会うこと
- 恋い慕う相手と日時を定めて会うこと。「遊園地でデートする」
- もともと〈日付け〉を意味するデートという言葉が,〈男女が日時を決めて会うこと〉という意味で広く使われるようになったのは,19世紀末から20世紀初頭のアメリカにおいて男女交際に関する新しい独特の社会慣習(いわゆるデート制度)が形成されてからのことである。
一般的には異性の友人だったり、恋い慕う相手と日時を決めて会うのがデートであって、合コンの流れとか声掛けやマッチングアプリなどで相手をろくに知らないまま会うのは「アポ(=約束)」と呼ばれて区別される感覚。なので、好意のない相手に安い店に連れてこられて怒りが発生し得るのは「デート」ではないし、「アポ」なら無難なお店を用意できるかが重要な足切りラインになることだろう……と思っていた。
大人は好きじゃなくてもデートするんだ
だけども、実際に怒っている人やスペースで話したところデートってもっと気軽なものだったのだと知った。
飲み会で女の子と知り合うじゃないですか。次の一手でお食事デート誘うじゃないですか。でもまだ関係薄いから好みがわからない。そこにはマルクス言うところの命がけの飛躍が必要なんです。
少なくともこちらからの好意がある程度は存在する時点で相手が気になる料理や行きたい店にも興味があるし、楽しんだり喜んだりはして欲しい。むしろそういう盛り上がりを言い訳にして誘えるものだと思っていたが、とりあえず知り合ったら誘って相手の好みが分からないから無難なお店を選ぶ。それだったら互いにアポ寄りの感覚だろうし、大人は別に好きじゃなくてもデートするものなんだと知った。
試し行為であれ、好意が分からない相手に奢る時へのコスパを気にしてしまう感覚であれ、相手のことを知らないうちに誘うから起こることであるのだけど、そういった試行回数を重ねて他人は本当に好きな人を見つけたり、大人になっていったのだろう。僕自身は無害であったかもしれないが、誰も幸せにできていない。床の底が抜けていくような感覚になった。
虐殺の文法と自身の加齢が止めらないループ
恋愛なんて人と人との関係なのだから、第三者の審級に委ねること自体がおかしいのだけど、SNSで色々な人の生の声がテレパシーのように飛び交うのは便利ではある。相手の内心を知ることができれば、「あ、これ進研ゼミでやったところだ!」と先回りして叶えることもできるし、将来の相容れなさも回避できるような気分になってくるが、SNSに表出されるのは選択的なものだけだ。
サイゼリヤという単語単体で使う時はコスパがいい、新メニューが美味いなどのポジティブな反応が発生するが、デートという単語と組み合わせると突然争いが発生する。この現象に目をつけたジョン・ポールがやがて虐殺の文法を開発する事になるとも知らず、人類は愚かな争いを続けていた……。
— 病気の豚 (@Sui_A) 2022年2月10日
そんな電脳空間でそれぞれが何らかのトラウマを刺激されて争いが発生する虐殺の文法として、サイゼリヤと初デートの組み合わせは強すぎる。また数年後に流行っているような気もするけれど、自身の加齢が止められないループ物は残酷だ。あれから歳を重ねた僕自身は初デートをジョエル・ロブションにすることだってやぶさかではないけれど、だからこそ初デートの定義は事前に擦り合わせておきたい。