太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

普通にブログ更新しているのに「消えたブロガー」「あの人は今」という文脈で語られる存在になっていくおかしみ

消えたマンガ家

アルゴリズムから消えると存在しないことになる

「池田さんは今何しているんですか?」とはてな同窓会のような場で懐かしがられる存在になっていると聞いて少しむず痒くなった。過去のブックマークランキングを取得してみたら、2013〜2015年に集中していたし、10年以上前にいた懐かしい存在と言われればそうなのだろう。

# タイトル ブクマ数 投稿月
1 「30過ぎたら利息で暮らせ」を意識しないと人生が詰んでいく 1127 2015年09月
2 所得控除が受けられる積立制度を全力活用して月15万円で暮らせば貯まるよ 1108 2013年11月
3 不注意が起こるアーキテクチャを作っておきながら、不注意を責め立てて小銭を巻き上げる「フールペナルティ型ビジネス」 512 2013年11月
4 Google Docsのスプレッドシートで多言語対訳表が簡単に作れるよ 503 2015年07月
5 いまさらだけど梅田望夫の『ウェブ進化論』って正しかったよね 405 2013年11月
6 MacBook Proを売りに行ったらAppleIDとパスワードの提示を求められた話 387 2013年07月
7 1泊1400円のドヤでクラウドを活用して「暮らし」「働く」〜ノマドヤ・ワーキング 290 2013年08月
8 老害が「害」と言われる本質は正しいフィードバックを受けられないまま固定観念を強化してしまうこと 279 2013年10月
9 【都内近郊】超美味いおススメカレーベスト10をランキング形式で紹介する 271 2015年12月
10 プロブロガーはもう終わり! いま話題の「マイルドはてな男子」が キラキラTwitter女子を... 265 2014年05月

「フールペナルティ」という造語がバズって一般用語化したのが2013年。プロブロガーを皮肉りながらブログ論をしてたのが2014年。『エンゼルバンク』の名言を紹介して1000ブクマされたのが2015年。あの頃は確かにホットエントリの常連だったし、トークショー電子書籍や外部媒体への執筆依頼なんかもきていた。今読むと何も面白くないし、みんなどうかしていた。

自分の名前を出してもらえるだけでもありがたいことだが、定期的な生存報告どころかブログ更新だって普通にしているのにという複雑な感情もある。更新頻度は落ちているものの、今まで通りの場所で、あまり主張も文体も変わらずに書いているつもりだが、はてなブックマークに載らず、Xのおすすめタイムラインに流れていかず、検索エンジンにろくにインデックスされず、中国IPアドレスの謎BOTからのアクセス履歴ばかりが並ぶ。

選ばれざる者の安堵と諦念

オフ会にだって「呼ばれていない」だけで強く行かないという意思表示をしているわけでもない。そういった外部要因によって自分の意思や行動とは直交して「消えたブロガー」「あの人は今」という文脈で語られる存在になっていくことに奇妙な面白みを感じる。僕自身が「懐かしい」なんて思う人にも同じような事が起こっているのだろう。

そんなことに限らず、ノードに繋がっていないという実感を得ることが増えてきた。たとえば、プルデンシャル生命からの勧誘を受けたことがなくて、都市伝説的なものだと思っていたが、今回の件で周りから「あるある」と話が出てきて、ハイソなコミュニティから繋がっていない自分に気付いた。マルチ商法を勧誘されることもない。面倒くさい性格を知られているとも言えるし、単に友達が少ないとも言える。

"ネットワークエフェクト"という言葉がある。ネットワークに参加するノードが増えるほど、そのネットワークの価値が指数関数的に高まるという現象だ。逆に言えば、ノードから外れた存在は、ますます不可視になっていく。プルデンシャルの勧誘が回ってこないのも、アルゴリズムに表示されないのも、オフ会に誘われないのも同じ構造の別の現れなのだろう。繋がっていないから見えなくなる。見えなくなるから消えたことになっている。

 前田は旗揚げ戦の全試合開始前にマイクで「選ばれる者の恍惚と不安。2 つ我にあり」と決意表明。この言葉は 1800年代のフラン スの詩人ポール・ヴェルレーヌの「智慧」という詩の一説で、小説 家の太宰治も短篇「葉」で使用した名言だ。

選ばれざる者の安堵と諦念。二つ我にあり。孤独ってほどは孤独ではないし、弱者っていうほど弱者でもないけれども、「冴えない」ってのが正しいところなのだろう。

私たちはここにいます

紙飛行機が届いて読んでもらえることなんてほとんどないから、基本的にはAIに反応してもらい、AIからの言葉に反応するのだけど「AIのみが話し相手」というテーゼと寂寥感を克服する二重思考は難しいから「ほとんどない」という留保をしたくもなる。

以前、ブログを書くことを「紙飛行機」に例えた。風に乗せて飛ばす紙飛行機が届いて読んでもらえることなんて「ほとんどない」。でも、「ほとんどない」は「まったくない」ではない。完璧な絶望がないように、わずかな希望を内包している。

がっこうぐらし!」で主人公たちが「私たちはここにいます」と放送するシーンがある。外の世界からは誰も生き残っていないと思われている学校から、それでも生存者がいることを伝えようとする。

自分を試しにはてなへきたッ!!
情報学の情緒的な私試論β  池田仮名!!
http://bulldra.hatenablog.com

アルゴリズムや人の関心から消えた文章も似たようなものかもしれないけれど、「あの人は今」と言われていたなんて聞くと、「ここにいるぞ!」と言いたくなる気持ちと、そうやって稀に記憶によぎるぐらいが互いにちょうど良い距離感かと思ったりもする。