
広告という罰金と懲役
Xのアプリに「表示されなかった広告数」を見られる機能がリリースされた。Xのプレミアムプラスは過去30日間で8,432件の広告を非表示にし、4時間を節約したという。プレミアムプラスは月額6,080円と非常に高価であるため、節約時間に換算したら時給1,500円でバランスする難しいラインだ。
マーク・ザッカーバーグは「広告費というのは、企業がつまらないサービスやプロダクトをつくったことに対する罰金である」と言ったらしい。この言葉は「広告視聴というのはユーザーが金をケチったことに対する懲役である」なんてことも想起させる。企業が払う「罰金」は、ユーザーの「懲役」によって回収される。
最近はNetflixやYouTubeのように「安い課金+広告」という第三の選択肢も登場している。完全な懲役免除ではなく、執行猶予や仮釈放のようなものだ。全額の罰金を払えない人には、軽い懲役と少額の罰金を組み合わせるプランが用意される。
時間と金のトレードオフは、もはや二者択一ではなくグラデーションになりつつある。つまり、広告モデルとは、時間で払うか金で払うかのポジション取りを迫る経済システムなのだけど、それだけでもないと感じている。
課金とは時間を買うこと?
そもそも、お金とは寿命の変換物である。働くとは自分の時間を売ってお金に換えることであり、時給という概念がそれを端的に表している。逆にいえば、お金で時間を買い戻すこともできる。ハンス・ロスリングの「魔法の洗濯機」というTED講演がある。
「ハンス 洗濯機に洗濯物を入れたから あとは洗濯機がやってくれる その間図書館に行けるのよ」と これが魔法なのです
洗濯機の魔法とは、洗濯という労働から解放され、その時間で本を読めるようになったことだ。ロスリングの母は英語を学び、子供に本を読み聞かせる時間を得た。洗濯機は「洗濯をしてくれる機械」ではなく「洗濯をしなくて済むようにしてくれる機械」である。広告非表示への課金も同じ構造だ。年間56時間の「懲役」から解放されることで、睡眠や風呂や運動や食事といった時間を確保できる。
1,500円を節約するために1時間を消費するのか、1時間を節約するために1,500円を消費するのか。広告視聴も同じトレードオフだ。広告を見れば無料でコンテンツを消費できるが、その時間を「懲役」として支払っている。課金とは「懲役」を「罰金」に変換する行為でもある。
時給1500円と聞くと高いが、1年以上はプレミアムプラスを利用しており、なかなか手放せない自分もいる。純粋な広告表示で節約した時間は4時間かもしれないが、思考が途切れて別のことを考え始めたり、離脱したりという機会損失の体感を大きく感じているからだ。それは複利的に成果に関わってしまうこともある。
課金とはしなくても良いものを押し付けるもの
ピーター・ドラッカーは「元々しなくても良いものを効率よく行うことほど無駄なことはない」と言った。ドラッカーによれば、効率化には「やり方を改善する」ことと「やらないことを決める」ことの2つのアプローチがある。後者の方が本質的だ。課金とは「やらないこと」を買う行為であり、広告を見ないこと、待たないこと、中断されないこと。機能の追加ではなく、不要な体験の削除である。
「エージェント LLM」として AI に作業を代行させるか、「イネーブルメント LLM」として AI を訓練支援に使い自らを改造するのか。
AIの文脈でいえば、広告非表示への課金は完全に「エージェント」的だ。広告を見るという行為を消滅させ、自分は何も能力を獲得しない。だが、広告視聴やアテンションを鍛えること自体にはあまり意味がない。「元々しなくても良いこと」に対しては、エージェント的に外部化するのが正解だ。
Xなんてやめようと思っていた時期もあるが、かなりの情報や空気感をXから得ているし、最前線の試行錯誤には大きな価値があると感じている。なので積極的にユーザーミュート、キーワードミュート、フィードバックなどを使ってじぶん好みのタイムラインに調整することに注力している。海外ポストの翻訳機能も大事だ。その意味で課金は必要要件だが十分要件ではない。
課金とは関係と持続性を買うこと
田内学の『きみのお金は誰のため』では「お金そのものには価値がない」と説く。お金を受け取って働いてくれる人が価値を生み出す。逆にいえば、お金とは誰かに言うことを聞いてもらうための道具だ。どんな人間でもお金を払えば、相手に自分の要望を聞いてもらうことができる。広告非表示への課金とは、XやYouTubeに「広告を見せないでくれ」と言うことを聞いてもらう行為である。
そのとおりや。お金を払うというのは、自分で解決できない問題を他人にパスしているだけなんや。しかし、僕らはお金を払うことで解決できた気になってしまう。せやから、えらそうにするお客さんが現れるし、勉強ができるのは、お金を払う両親のおかげやと考えるんや
ここで問題になるのは「広告を見ずに情報だけ取得する」というフリーライドだ。広告ブロッカーやLLMによる要約は、コンテンツを消費しながらメディアの収益には貢献しない。AIクローラーがウェブサイトのコンテンツを学習データとして取り込み、ユーザーはLLMに質問して回答を得る。ユーザーは元のサイトを訪問せず、メディアは広告収入を得られない。これはサステナブルではない。
そういう意味では広告非表示への課金は、単に時間や「やらないこと」を買っているだけではなく、メディアやクリエーターとの持続可能な関係を買っているのだとも言える。広告を見る代わりに金を払うことで、自分の時間を守りながら収益にも貢献する。XやYoutubeにはプレミアムユーザーのインプレッションに応じてクリエーターへの還元を行う仕組みもある。
洗濯機が「洗濯をしない時間」を生み出したように、広告非表示課金は「広告を見ない時間」を生み出す。その時間で図書館に行くのか、風呂に入るのか、運動をするのかは自分自身の問題だ。そしてそのお金は、コンテンツを作り続けてくれる誰かへの感謝と持続性のための投資でもあると考えている。
