太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

人生の編集工学であるキャンセル界隈とコンテキストエンジニアリング

知の編集工学 増補版 (朝日文庫)

界隈消費と編集工学

会社、学校、社会、家族。かつてはこうした集団の結びつきが消費の方向性を決めていた。職場の同僚が買ったから自分も買う、テレビで流れていたから子供がねだる、みんなが持っているから持っていないと恥ずかしい。消費とは「みんな」とそろえる行動でもあった。しかし、そうした集団の紐帯が弱まるにつれて「みんな」とそろえる消費も減っていく。結果としてメガヒットは生まれにくくなり、消費の方向性は無数に分散していく。

日経クロストレンドが2026年の消費トレンドとして掲げるキーワードのひとつに「界隈消費」がある。かつてのマス消費が大きな川だとすれば、今は無数の細流が独自の地形を削りながら流れている状態だ。○○界隈という言葉がZ世代を中心に浸透し、趣味や嗜好の近い小さなコミュニティが消費の単位になっている。マーケティングの教科書が想定していた「ターゲット消費者」の輪郭は溶け、代わりに現れたのは無数の「自分」である。

実際、「自分軸」「自分史上最高」などというキーワードがZ世代にもてはやされているという。他人との比較ではなく、自分の満足度を過去の自分との比較でどれだけ高められるのかというスタンスだ。曖昧な自分という存在が何者なのか、どこまでアップデートできるのかを消費を通じて納得していく。消費は今やモノを買うというよりも、自己をいかに「編集」するのかという営みに変わってきている。

端的な例が、推しぬいをかばんにぶら下げる女子高生である。好きなコンテンツのキャラクターへの「推し」でもあり「偏愛」でもあるが、まさに自分らしさを編集・表現している。痛バッグ、ぬい撮り、推し色コーデ。これらはすべて「私はこの世界線に属する人間である」という宣言だ。Spotify Wrappedが消費履歴をそのままアイデンティティの表明に変え、ZINEフェスが全国に広がっている。自分の内面を編集して外に出すこと自体に価値を感じる人々が増えたのだろう。

人生の編集工学であるキャンセル界隈

編集とは足すだけの行為ではない。「キャンセル界隈」という言葉も、編集工学的に見ると腑に落ちる。コンロキャンセル界隈は火を使う調理を手放してレンジと調理家電に集約し、浴槽キャンセル界隈はシャワーだけの生活を選ぶ。20代のコンロ非設置率は27%に達したという調査もある。もちろん「風呂キャンセル」のように自虐的なネタもあるが、コンロや浴槽のキャンセルには「あえてこれは不要」と切り捨てる編集的な意思決定がある。

雑誌の編集長が紙幅の制約の中で「この特集は入れない」と判断するのと同じだ。何を載せるかと同じぐらい、何を載せないかが雑誌の個性を決める。タイパの次にメンパ(メンタルパフォーマンス)が消費基準として注目されているが、キャンセル界隈もメンパもすべて「何を選び、何を捨てるか」という編集行為の延長線上にある。

ここで思い起こされるのが、2024年8月に逝去した松岡正剛が提唱した「編集工学」だ。情報を関係させることで新しい意味を生み出す方法論。松岡は「編集工学的人工知能」の可能性にも言及しており、入力と出力との「あいだ」が見えるようなもの、その「あいだ」からタスクやイメージが発見できるものになるだろうと述べていた。

自分を取り巻く時空間のコンテキストエンジニアリング

この「編集工学」という概念が、AI時代においてこそ重要な概念になりつつある。AIエージェント開発の文脈で急速に注目を集めている"コンテキストエンジニアリング"は、LLMに与える情報(コンテキスト)を適切に設計・制御し、望ましい出力を得るための技術だ。何を渡し、何を渡さないか。どの順序で、どの粒度で情報を構成するか。これはまさに松岡正剛が言う「編集」そのものではないか。

プロンプトエンジニアリングが「何を聞くか」の技術だとすれば、コンテキストエンジニアリングは「何を前提として共有するか」の技術であり、まさに編集者が原稿に手を入れる前に行う「文脈の設計」に対応する。編集工学の射程はAIやテクノロジーに閉じない。自分をとりまく空間と時間のすべてが編集対象になる。

ノイズキャンセリングイヤフォンは「音の編集」だ。雑踏のノイズをカットし、自分が聴きたい音だけを残す。一方で、最近はイヤーカフ型のオープンイヤーに替えて、あえて外音を取り込むようにしている人もいる。僕もそうだ。周囲の環境音をBGMとして残しつつ、ポッドキャストや音楽を薄く重ねる。遮断するか、混ぜるか。どちらも「自分の聴覚空間をどう編集するか」という判断であり、デフォルトの音環境をそのまま受け入れないという点で共通している。

編集長として「キャンセル」を指針に加える

Anthropicが2026年2月にリリースした"Agent Teams"は、この編集工学のひとつの実装形態だ。複数のClaude Codeインスタンスが「チーム」として協働し、チームリードがタスクを割り振り成果を統合する。

しかし、AI エージェントの登場によって、このマスター・スレーブ関係は逆転しつつある。かつては人間がゲーム化された労働のスレーブとして価値を抽出される側だったが、今や人間がマスターとなり、AI エージェントというスレーブを指揮する側に立つ。RTS ゲームで複数のユニットを操作するように、複数のコーディングエージェントを操作して成果物を生み出す。ニート的気質、つまり家から出ずにゲームに没頭できる資質が、そのまま生産性に直結する時代が来ているのかもしれない。

以前、マルチエージェント開発がRTS化していく話を書いたが、Agent Teamsはまさにその延長線上にある。人間が編集長としてAIチームメイトの出力をレビューし、文脈を調整し、方向性を微修正する。チームリードがデリゲートモードに入れば、コードには一切触れず純粋にオーケストレーションだけに集中できる。「編集長は原稿を書かない」という編集工学の原則そのものである。

これは、自身の人生の時間と環境をどのよう整備するかということにも敷衍できる。雑誌の編集指針が日々の行動や明示的な宣言によって形作られるほど、AI Agentが担う実行範囲が増えていくことが目に見えている。情報の大海から「これは」というものを選び、自分の"小島"に格納し、分解し、再編する。

でも、だからこそ「良さそうなもの」を無限に足し算していくだけの編集指針ではなく、「これはキャンセル」「これは任せて忘れる」という明示的な引き算の宣言も大切になってくる。残念ながら自分の体力も健康も認知資源も無限ではないのだから、ある種自覚的に雑誌の紙幅を考える時期が来たのだろうと考えている。その意味では SKILL.md にこそ、してほしくないことリストが必要になってくるのかもしれない。