太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

『妻の飯がマズくて離婚したい』感想〜自分の気持ち至上主義の横軸と食は三代ガチャの縦軸が絡む家族という地獄

妻の飯がマズくて離婚したい

妻の飯がマズくて離婚したい

結婚とは、生まれも育ちも異なる他人同士が「家族」になることです。価値観の相違をすり合わせながら、お互いにとって心地のいい関係を築いていくことが、結婚生活の一番の課題なのかもしれません。今回は三大欲求のひとつとも言われる「食」がテーマ。食に対する価値観が正反対の場合、夫婦の行く着く未来は明るいものとなるのでしょうか……?

 SNSで話題になっている『妻の飯がマズくて離婚したい』の現在掲載分まで読んだ。タイトルにもある通り、そもそも離婚したいのは夫からの視点なのだけど、互いの視点からの心情が描かれることで、突飛とも思える言動や行動にそれぞれの背景があることが明らかになっていく。

 その意味においてはモノローグを多用することで[現実の行動と心情の差異を描いた『花束みたいな恋をした』の夫婦版とも言えよう。この手の生活漫画は俺にも一機やらせて!と言いたくなる所に面白さやバズりの要素があって、メタ的に解釈されて語れることを前提にした違和感が随所に織り込まれている。

私は食に無頓着だから腹に入ればいいって考え。 そんなことで離婚考える男いる? こっちは3人の子供育てて嫌いな料理してんだよ。なのに旦那は会社の人ら(独身女含む)と美味しいレストラン行ったみたい。 私が外食するなら家族に使えって考えだから、内緒にしてたんだって。もしかして不倫か?色々疑ったら料理のこと言われた。これって離婚すんの? 私も結婚生活疲れてたしちょうどいいか~うざ

お前が作る料理って美味しそうに見えないんだよな | ママの交流掲示板 | ママスタコミュニティ

 ちなみに元ネタになっていると思われるトピックはこれ。ついてるレスも地獄なのだけど、それを原作にした一歩踏み込んだ言いたいことが出てくる漫画に仕上げてくるのが面白い。

「食に対する価値観の相違」に巻き込まれる子供

 概要説明の通り「食に対する価値観の相違」が本作品のテーマ。料理が苦手な兼業主婦の妻は「お腹に入れば同じ」と酷い料理を夫や子供に食べさせる。夫は美味しいものを食べることに生きがいを見出しているので相容れない。

 夫が特別にグルメだから文句を言っているわけでもないのは子供達の「給食のが美味しい」からも分かる。そんな食事に辟易とした夫が自分のお小遣いで12,000円のコース料理を食べていたことから喧嘩になって、夫の方から「離婚も頭によぎるんだ」と言われる。

 それぞれにはそれぞれの言い分があるし、そのバックボーンも明らかになっているのだけど、一番可哀そうなのは逃げ場がない子供だ。子供はさておき自分だけお小遣いで12,000円のコース料理となる夫にもサイコパスみを感じる。後で家族で行こうと言ったのに断られた回想が入るのだけど、子供にとっても家族という地獄だ。

自分の気持ち至上主義が裏返って負の平等になる横軸

戦後民主主義の日本に育った私たちは、「価値観は人それぞれの多様なものなのだから、『こう生きるべき』という生の一般的な指針のようなものは存在しない。ゆえに、自分が『楽しい・気持ちいい』と感じることを実現し続けて生きるのが最上の人生である」という、社会的なメッセージを受け取り続け、それを内面化してしまっている。

したがって、私たちの多くにとっての幸福の条件は、「こう感じる私」の気持ちが最大限に満足され、またそれが同時に、他者からも尊重されることである。「気持ちいいことが幸せだ」という以外の幸福の定義を私たちは知らないし、他者に「私の気持ち」を尊重してもらわなければ「嫌な気持ち」になる以上、このことは当然だ。

 岡田斗司夫が提唱した概念に「自分の気持ち至上主義」という言葉があるのだけど、私の気持ちが最大限に満足され、またそれが他者からも尊重されるべきという幸福観に日本人の多くが支配されるようになったと言われる。この前提において、「私はパートをしながらワンオペ育児で苦手な料理を我慢してやっている」のだから自分の気持ちが尊重されていない。故に私も共感できない価値観を持った夫の気持ちを尊重しなくてもよいという自分の気持ち至上主義だからこその負の平等性が発露する。

子供三人をサラリーマン+パートで育てる養育費の問題

 価値観の相違はもちろんあるとしても、料理が苦手なら惣菜や冷凍食品を使ったりすればマシになるし、時には外食をすれば良いのに「節約が大事」と苦手な自炊に固執するところにも異常性が見えるのだけど、節約しなきゃいけないという強迫観念も分かる。

 そもそも現代の一般的なサラリーマン+パートの収入で子供三人を養育して習い事などに通わせるなんてこと自体に無理があるように感じてしまう。子ども一人が成人するまでにかかる費用は3,000万円程度と言われている。本質的な対策としては固定費を減らすための諸々が必要であって、食費を削りとってどうにかなる話でもないけれど強迫観念には「やってる感」を必要とする。

 そもそも節約して貯めたお小遣いの使い道を指図する時点でどうなんだと思うが、ママスタ内の他の漫画においても禁煙や節約を続けてお小遣いを25万円貯めたら「20万円は家計に入れてよ」となってしまうストーリーが描かれており、ある程度までは普遍的な感覚になのだろう。「私だってお小遣いから生活費に回している」という台詞もあり、そもそも大枠を家計管理するからこそ少額の自由裁量を認める「お小遣い」という枠組みさえも家計管理に入れざるを得ない問題がある。

 自由裁量部分については自分の気持ち至上主義だから故に「他人も自分と同じ価値観になるべき」派と、故に「他人の価値観には不干渉」派に別れるのだけど、ここにも「私だってお小遣いから生活費に回している」のだから、という対称性が出てくる。その観点において『こづかい万歳』のなんと豊かなことか。

食は三代ガチャの縦軸を断ち切れるのか

 『美味しんぼ』に「食は三代」というエピソードがある。「食は三代」とは、もともと中国の故事で 財は一代、衣は二代、食は三代、品が七代と続く。つまり、財産は一代で築けて、二代目は服装などを立派にできるものの、幼少期の貧しい生活によって品や鋭い味覚は身に付かない。三代目になると幼少期から裕福な食事を食べられることで鋭い味覚が形成されるが、親から品を学べていない。それだけ味覚や品は後天的な努力ではなく家柄に依存しやすいということだ。

 妻が食に興味がなくなったり、料理が苦手なのは母親の影響が大きい。料理方法も「お腹に入れば同じ」という台詞も母親譲り。妻側の父親が描かれてないのが不穏というか答えな気もするのだけど、シングルマザーと仮定すると働きながらのワンオペ育児という親子共にしんどい状況だったと想像される。

 そして、妻自身が母親に手をかけてもらえなくなった理由が分かってしまうからこそ料理を真剣に学べなかったのではないか。そもそも妻は一回料理をちゃんと勉強しようとしていたのだけど、「お腹に入れば同じ」という母親の言葉が蘇ってまともな料理が作れなくなってしまったという点において縦軸の連鎖を想起する。

美味しんぼ」で「食は三代」というタイトルの回があって、高級なものを理解するには三世代ぐらい食べられる環境にないと育たないという資産家を「味覚は才能だ!」って山岡が切って捨てる話なんだけど、肝心の山岡は実際のところ小さい頃から叩き込まれた二代目だし、栗田さんは平凡な家庭といっても水準から行けば十分裕福な育ちなので、じっさいのところ、高級なものは味だけではなく振る舞いも含めて楽しむものなので、あれは本当は当たっていたのかもしれない。現代社会で三代は難しくても二代目ぐらいでないと。

 ちなみに、『美味しんぼ』においては個人の才能と努力が勝るという結論になるのだけど、実際には上記の通り。これは近年話題になっている親ガチャならぬ家柄ガチャだ。妻の親ガチャ外れが子供にとっての親ガチャ外れに繋がってしまう連鎖についてはまさに『実力も運のうち』だ。この連鎖を断ち切らないといけないとは単純に言い切れない難しさもある。

妻の親友による解答編と残る問題

 そういった流れから妻の親友が相談を受けるのだけど、「でも食事を楽しみたいっていうアツシさんの気持ちをミナミは大切にできていなかった」という言葉で返ってくる。これはまさに「自分の気持ち至上主義」時代だからこその指摘だ。私の気持ちが最大限に満足され、またそれが他者からも尊重されるべきという幸福観においては、他者の気持ちを尊重すべきという規範も必要となる。

 しかし、私は苦手なのに我慢しているのだから、相手も我慢すべきという負の平等思考に支配されてそれができなくなっていた。必要なことはってのはここからの連載で描かれていくことだろう。自分の気持ち至上主義の横軸はそれで解決していくとして、養育費や妻の母親による縦軸の問題描写にどこまで切り込むのかにも興味がある。簡単に離婚してしまった場合には、シングルマザーの連鎖まで起こってしまう。

 もっとも、ここで妻親子の和解を描いてもとっちらかるし、子供の気持ち至上主義になることで料理を頑張れない問題自体を無くしたり、母親も大変だったのだろうという形で自然解消されていくのかもしれない。本当に必要な解決策の両輪はファイナンシャルプランニングにあるんじゃないかと思いつつも連載を見守りたい。