高解像度と超解像処理
もともとはこうした意味を持つ解像度という言葉が、昨今ビジネスでも使われるようになりました。「解像度が高い」「解像度が低い」「解像度が足りない」という風に使われ、文脈的には、物事への理解度や、物事を表現するときの精細さ、思考の明晰さを、画像の粗さや精細さのビジュアルイメージを想起させながら示す言葉として用いられるようです。
ここ数年ぐらいの話になると思うのだが、ひとつの流行り言葉として仕事中に「そこの解像度を高める必要がある」といった言葉が出てくる機会が増えてきている。課題感や儲かりそうなポイントを見つけても、その時点では当事者でさえ明確な言語化ができておらず考慮も足りないことがほとんどなので、ピントの合わない話をしてしまいがちだ。
テレビやカメラの解像度が高ければ高いほど、より鮮明で詳細な画像を見ることができるのと同様に、課題や機会の「解像度を高める」ことで、それらをより深く理解し、対処したり利用したりするための戦略を明確にすることができる。そのためにこそ仮説やアイデアがまだ曖昧である状態から、より詳細な調査や分析が必要となる。
コミュニケーションにおける「解像度の高さ」
ビジネスの世界において「解像度を高める」ためには事実調査を積み重ねることが前提になるが、コミュニケーションにおいて「解像度が高い」という場合には、もっと相手の些細な表情や言葉遣いなどから、相手の気持ちを読みとるような意味で使われることが多い。現代文の試験における「この文章の○○の気持ちを答えよ」というものだ。そこで調査(確認)をするのは野暮になる。
それは営業活動やモテる人のコミュニケーション能力として確かに有用であるが、「高解像化」なのではなく「超解像化」であり、超解像処理をできるように努力させられることが結果的にHSP(Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン))と呼ばれる現代の病理に関わっているのでないかと思うことがある。
感情が揺さぶられやすく、共感しやすい【Empathy and emotional responsiveness】
・人が怒られているのを見て自分のことのように感じたり、傷ついたりする
・物語の登場人物に感情移入しやすい
・他人の仕草や目線、声色などに敏感で、その人の機嫌や考えがわかる気がする
上記は、HSPの特徴される「DOES(ダズ)」と呼ばれる特性のうちのひとつ。特に「他人の仕草や目線、声色などに敏感で、その人の機嫌や考えがわかる気がする」のは不足しているシグナルからの超解像処理の賜物であり、ハルシネーション(幻覚)であり「高解像な気がする」だけである。
わざと解像度を下げた月の写真をディスプレイに表示し、それをサムスンのスマホ「Galaxy」で撮影したところ、元写真にないディテールが追加された……そんな実験結果が話題になっている。
(中略)
証拠写真を見る限り、単なる超解像度処理では説明がつかないディテールが「復元」されており、実験を行ったユーザーは、AIが「被写体は月」と判定してディテールを合成した、つまり、ここで行われているのは「写真の補正」ではなく、月だと判定した部分に月のディテールのデータを合成しただけではないかとして、批判している。
これはスマートフォンにおける超解像処理によるハルシネーションの例だが、コミュニケーションの超解像処理においても同じぐらいの粗相は発生しえるし、関係のないシグナルから相手からの存在しない悪意や称賛を幻視してしまう傾向にあるのだけど、当人としては正しく高解像化して読み取れていると思い込んでしまうのが御しがたい。
横着をする道具としての超解像と繊細さを求める仕草
僕自身の経験としても思考が明文化された世界では自分と合わなそうな人に話かけなくても済むし、直近の記事などを読んで会話のきっかけにしてもらう事が多かった。言わなくても伝わるコミュニケーションがショートカットされていく心地良さには危険な中毒性がある。ブログで取り上げた書籍や音楽などが影響しあって『花束みたいな恋をした』の導入部分のようになる事さえあるのだろう。固有名詞で会話をし続ける関係は続かないものだけど。
昨今においてはSNSなどから表出している「本当の気持ち」や「思考ロジック」などを迂遠に伝達しあえるという側面もあり、それを前提とした対面コミュニケーションは楽で心地がよい。どういう行動が好きで、どういう事が嫌いで、機嫌が悪いときにしがちな行動まで種明かしされているのだから、その範囲では高解像に読み取ることもできる。
バースデーカラーとは、誕生日から自分のテーマカラーと性格の特徴を調べられる誕生日占いのようなもので、366日のバースデーカラーが一覧で示されています。2022年頃、バースデーカラーの一覧画像と一緒に「私のカラーはこれだった!」と知らせるような投稿が多く見られたのですが、これにはどうやらバースデーカラーを媒介にして自分の誕生日をみんなに知らせたい、という欲求が働いていたようです。
Z世代において「バースデーカラー」が流行っていたが、それには迂遠でありながらも8bitでは収まらない高解像度な表現で誕生日を正しく伝えられられることが肝要であった。一般的な干支や星座やその他の占いにおける局所鋭敏性ハッシュどころか、単純に逆参照できる関数従属である。
もちろん、表出していない部分にこそ「本当」があるかもしれないけれど、そこに答えを用意しているのに読み取らないのは怠惰であると責めることもできるし、「鈍感」というレッテルも貼れる。その一方で不機嫌になったら、曖昧なシグナルから理由を察して対応してもらえることと自体にしか友愛を見出せない人もおり、横着の道具として些細なシグナルから正しい処置ができる「繊細さ」を求められる規範に溢れている。
忖度による横着の致命傷
県は富士電機ITソリューションズに対し「拡張子が大文字なのは仕様なのか」という趣旨の質問をしたという。最終的には拡張子を小文字に変更することになり、結果としてファイルが消去された。拡張子を小文字にする機能を実際にリクエストしたのかITmedia NEWSが県に尋ねたところ、「仕様を尋ねたのは確かだが、改修をお願いしたかは確認中」との回答があった。
話題になった新潟県データ10万件消失事故の経緯に気になる記載があった。「仕様を尋ねたのは確かだが、改修をお願いしたかは確認中」に至る過程においては、出入り業者に対して普段から「この仕様をおかしいと思えないの?」「当事者意識が足りないから放置できるのかな?」「いちいち命令しないと動けないの?」といったやり取りがあり、明らかにおかしい仕様を指摘されえた質問に対して超解像処理をして繊細で鋭敏な対応をしてしまったことが想像される。
アートマンさんが言ってるの、この増田で言及されている癖みたいなものがあり、その癖は何故できたのかというと不健全な関係性の中で、おかしなやつらの言う、言葉の外にある言ってないことを読み取ることに特化してしまった結果もあるとは思うんだよねhttps://t.co/EAMBJQw9RO
— こむらさき🐨🖌@個人V的なもの (@violetsnake206_) 2023年4月25日
不健全な関係においては、過度に繊細であることを求められてしまう側面があり、それが過大化することで病んでいく。そんな想像も悪意のあるハルシネーションである可能性も高いけれども、少なくとも政治家を「忖度」してしまう話は2017年に流行語大賞にもなっている。
超解像処理をやめて高解像度化を目指す
結論から言うと
・相手の話を出来る限り一字一句聞き取る練習をしろ ・その際、相手の言っていない事は絶対に書き取らない
・聞き取れなかった部分は、相手に質問する、録音を再生する、などして欠けた情報を埋める事
コミュニケーション能力を真に上げるために必要なこと。それはまさにビジネスの場における「解像度を上げる」と同じだ。些細な事実から導出された推測が「事実」と混じり合ってしまうのが超解像状態であるため、聞いている段階では相手の言っていない事は絶対に書き取らないことが必要になる。そして最初から最後まで事実と推測は分離して記述・思考すべきだ。
その前提としては、言っていない事を超解像処理で読み取れることはコミュニケーション能力から除外すべきであるし、相手に横着するための忖度を求めるべきでもない。「手を繋いでよいか」を聞いたら終わってしまう関係なら終わるべきなのだろう。