太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

石田夏穂『我が友、スミス』感想〜別の生き物になりたいからこそ意識させられるクラシックなジェンダー規範の檻と逸脱

我が友、スミス (集英社文芸単行本)

『我が友、スミス』感想

【第45回すばる文学賞佳作、第166回芥川賞候補作】「別の生き物になりたい」。筋トレに励む会社員・U野は、Gジムで自己流のトレーニングをしていたところ、O島からボディ・ビル大会への出場を勧められ、本格的な筋トレと食事管理を始める。しかし、大会で結果を残すためには筋肉のみならず「女らしさ」も鍛えなければならなかった――。

 書き出しにくる「火曜は脚の日だ。」の見事さ。筋トレ後の回復には2〜3日かかるため、毎日の筋トレ続けるためには部位を曜日ごとに分けて追い込むスプリット・ルーティンが必要となり、その中でもキツいのは身体全体の筋肉の半分以上を支配する脚を鍛える日だという筋トレあるある。

 あまり化粧気のない真面目な女性がボディ・ビル大会出場に向けて動き出すことで生まれる変化や葛藤を鮮やかに描く。少しでも筋トレを経験していると高揚感や挫折感やいちいち共感でき、やったことない人にもこんな世界があると見せてくれる言語化のディテールが面白い。

 ちなみに「スミス」とはスミス・マシンのこと。レールで軌道が固定されたバーベルはペア・トレーニングができない孤独なトレーニーにも安全で優しい。筋トレは独りでも黙々と出来るからこそ続けやすい趣味という側面があり、ジムで「こいつ、いつもいるな」と思うことはあっても話しかけることはない。スミスくんだけが友達である。

ボディビルという奇妙な競技

 そもそも、ボディビルは不思議な競技だ。長い時間をかけたトレーニング、減量、ポージング練習などが必要となり、自分自身の遺伝子と向き合い続けることになるが、日本最大の大会である日本ボディビル選手権であっても賞金は出ず、副賞としてプロテイン1か月分がもらえるだけだ。

 もちろん海外でプロになったり、Youtuberとして人気になるなんて道もあるのだろうが、その苦労に見合うような報酬が得られるような競技ではない。それでもボディビル大会の開催が求められているのは、本書にも出てくる「別の生き物になりたい」という渇望をより早く叶えるためのものだ。

 先に大会出場日を決めて、そこから逆算して第三者に認められるために出来ることを何でもするという意識になることで漫然とトレーニングするよりも何倍も早く成長できるのだろう。僕自身はボディビル大会に出ることはないだろうけれど、改造人間になるなら婚活パーティという「大会」に行く日を決めないと張り合いがないと思っていたところだ。

女性競技に求められる「クラシック」な部分

 そんなわけで大会に出ることに了承する主人公だったが、女性にとってはさらに過酷な評価点があって、それが「女性らしい美しさ」だ。美しい肌、長い髪、良い表情、キラキラのビキニ、ハイヒール、場合によってはSNSでの発信力まで審査対象になる。重量を増やして食事にさえ気をつければ進捗するはずのスカラー的な世界観が急激に複雑化する。

 脱毛したり、ケミカルピーリングしたり、日焼けマシンに入ったり、笑顔やハイヒールでの歩き方を練習したり。僕自身もレーザー脱毛に通っているので分かるのだけど、1ヶ月後にツルツルになれるような世界ではないし、当日の運動禁止=筋トレができなくなるコンフリクトが発生する。ここにも筋トレと同じかそれ以上に長期間の忍耐が必要となると知る。

 ある意味では「別の生き物になりたい」という欲望は想像とは違う形で叶えられることになるのだけど、周りの目が必要以上に変わっていく葛藤。ジェンダーを超えるような存在になるために筋肉を鍛えていたのに、その大会でこそクラシックなジェンダー規範そのものを求められる矛盾。そんなことは分かりながらも、勝ちたい思いが芽生えてアイロニカルに没入する。大会当日の顛末は本書で読んでほしいけれど読後感には奇妙な爽やかさがある。