太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

冬野梅子『まじめな会社員』感想〜無難な真面目系クズは自分のランキングが低いとコロナ禍で自覚させられる問題

まじめな会社員(1) (コミックDAYSコミックス)

『まじめな会社員』の痛み

コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る! 菊池あみ子、30歳。契約社員。彼氏は5年いない。いろんな生き方が提示される時代とはいえ、結婚せずにいる自分へ向けられる世間の厳しい目を、勝手に意識せずにはいられない。それでもコツコツと自分なりに築いてきた人間関係が、コロナで急に失われたら…!?

 モーニング月例賞の奨励賞を受賞してWeb掲載されていた『普通の人でいいのに!』で爪痕を残した冬野梅子が連載を開始したことまでは認識していたのだけど、なかなか追えていなかった。ふと気が付けば単行本が2巻まで出ていたので一気読みして心が抉られた。ちなみに『普通の人でいいのに!』は2巻の巻末に特別収録されている。

定型文でない会話の嬉しさ

 菊池あみ子はちょっと文芸趣味のある契約社員。定型文で対応できるやりがいのないの仕事を定時までこなして、マッチングアプリで人と会ったり、喫茶店に通ったりするのだけど、求められる正解のために会話も無難な定型文になりがち。

 そんな中、自分らしく生きている同僚に誘われた読書会に参加して、普段から読んでいたウェブ記事を書いている書店員兼ライターと定型文ではない会話で盛り上がってストーリーが動き出す……次のシーンで終わっていることが第三者カメラは捉えている。この作者は横顔の構図が多いのだけど、正面からはそれなりに整えていても横顔のデッサンに映る表情や美醜の差が出てくるのがエゲツない。

 まだコロナ禍になる前の猥雑なパーティや飲み会で広いようで狭く繋がっている会社や喫茶店や読書会メンバーの人間関係の中で、誘われてないのに会う気まずさや過去に告白したけど断られたり、実は付き合っていることに気づいた関係性などがないまぜになっていきながら、コロナ禍に突入する。

コロナ禍で明らかになってしまった自分ランキング

 コロナ禍が明らかにしてしまったのはコミュニティ内における自分のランキングである。特にコロナ禍初期は濃厚接触者認定されるだけでも大事だったし、感染なんてすれば村八分になりかねない空気があった。ほとんどの飲食店は休業し、不要不急の外出さえも自粛を強いられていた。そんな中でも直接会って会食しているのは家族や恋人や親友や仲間同士であるか、倫理観をやや緩く持つかのいずれかであったのだけど、人間関係が薄いまま融通が効かない真面目さを持っていると壊滅する。

 それでも初期の頃は納得もしやすかったし、リモート飲み会なども面白かったが、少し落ち着いて飲食店が席数制限で再開された頃は僕自身もしんどかった記憶がある。それは SNS などを通じて少人数の会合が散発的に開かれていると認知しながらも、いくつかのグループ内優先ランキング4位以内に入れない自分は誘われない疎外感。モーニング娘。は「この世の中に生活<くら>する女の子で私のランキング何位だろうか?」と歌っていたが、一定の距離感で無難な定型文を発していれば嫌われにくくはあれど、強く好かれることもない。

 コロナ禍の前なら普通に参加できていたし、グループの一員だったつもりでもコロナ禍においては濃厚接触するほどではない程度の親密さだったことを否が応でも自覚させられるし、参加できないのだからランキング変動のチャンスもない。しかも、本人の主観では無難に振る舞ってきたつもりなのに、素朴に話題泥棒しがちだとか客観的にはちょっと嫌われているであろう描写まである死体蹴りのフェイタリティ。そもそも告白失敗しているのだから距離感も取れてない。

応答せよ。こちらあみ子。応答せよ

 ところで『まじめな会社員』の主人公の名前が「あみ子」で、気になる相手が「今村さん」であることについて特別な意図があったのかは不明だけど、どうしたって今村夏子の『こちらあみ子』を想起する。

壊れていたのは、あみ子だけではないし、聞いているのに答えなかったのは父親だ。電池の切れたトランシーバーからの応答はないが、あみ子はいつだってコミュニケーションを取りたいし、知りたいし、直したい。自分の気持ち悪い部分を教えて欲しい。

  『まじめな会社員』におけるあみ子は決して頭が悪い訳ではないし、むしろ論理的に考えて無難に振る舞っているのだけど、だからこそ滲み出ているであろうノンバーバルな「応答せよ」というメッセージを誰かには読み解いてもらえることを期待したり、その先の「本当の自分」を出せる人を求めてしまう。

私は今コピペをしなかった
自分の考えを言葉にして伝わりきった感覚
これが本当の私ってやつでしょ

 なので、たまたま読書会で漫画の読解が同じだった今村さんだったりに執着が発生するのだけど、この人になら本音で話せるという線引きのセンサーが迂遠だからこそ応答の希少性が出ている側面がある。そして希少だと感じるからこそ不自然な振る舞いなってコミュニティを締め出されてしまう孤独。非モテコミット。時系列で変化する今村さんの人間関係や心理状況の中で「今は誰でも良い」が発動したり、しなかったりがあるのも嫌らしい。本音を取り繕うのは主人公だけではないのだ。

 2巻までにおいては地獄めぐりの様相しかない作品ではあるけれど、「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみ」について多かれ少なかれ感じていたことを見事に言語化して客観的に描かれるのは心のワクチンになるから読んでおいて損はない。これから先に描かれることが何なのかについても追っていきたい。