カレー沢薫『ひとりでしにたい』
バリバリのキャリアウーマンで生涯独身だった伯母が孤独死。黒いシミのような状態で発見された。衝撃を受けた山口鳴海(35歳独身)は婚活より終活にシフト。誰にも迷惑をかけず、ひとりでよりよく死ぬためにはよりよく生きるしかないと決意。愛と死をひたむきに見つめるフォービューティフルヒューマンライフストーリーの決定版誕生
コロナに限らずとも他人を部屋に入れないことが当たり前になっていくなかで孤独死について漠然と思うことも増えた。事故物件のドキュメンタリーを読んだり、映画を観たりもあるが、事故物件に至る前段階の終活についても興味がある。
最高ネコ漫画の『クレムリン』や良い意味で酷いエッセイを書いているカレー沢薫が孤独死についての考察や対話を描く。原案協力付きでハウツー漫画のような体裁を整えながらも、多めの猫成分とギャグが心地よい。魯山人かわいい。
ひとりよりよく死ぬための漫画
独身キャリアウーマンであった伯母の孤独死をきっかけに孤独死について学んだり、今時の後輩男子と会話していくのだけど、何かの特効薬があるわけではない。ただひとつ言えるのは、どのようにしても訪れる死に向かって、「どうでもいい」と思ったところから終わるということ。
以前に婚活健康法として、せめて街コンやお見合いパーティに行く予定でもあれば少しぐらいは運動をしたり、酒やラーメンを控えたり、ファッションに気を使ったり、世事を知ろうとするだろう。僕にはその「過程」こそが重要なのだなんて書いた事があるが、終活にもそれはある。
現状把握と来るべき未来
終活のために必要なのは現状把握と改善という真っ当な話。もっと若ければ「あるべき姿」を作り込むのも大事だろうが、中年になってから必要なのは現状や遠からず来るであろうリスクへの興味を失わないこと。
ロマティックな孤独死を経て「綺麗な死体で発見されたい」のは最終的な結末であって、そこからバックキャスティングして人間関係が破綻する。熟年離婚する。希望がなくなる。お金がなくなる。清潔感がなくなる。といった複合的なバッドエンドルートを少しづつでも回避する過程を経た生活そのものに意味がある。
「今のまま」がずっとは続かない覚悟
老いなき世界を渇望しているのも、ここのところで自分自身の体力や集中力が落ちてきていることを感じているからだ。今のところは仕事や娯楽が高密度かつ長時間はできないという形で顕在化しているに過ぎないが、先延ばしにしていると本当に何もしないまま動けなくなってしまう不安感もある。
それは結婚していようが、子供がいようがの話ではあるし、「独りでなんとかするのが怖いから結婚したい」という動機も不純すぎる。『ひとりでしにたい』では今時の後輩男子側に気があるような描写が続くのだけど、今のところはそこに落ち着かないようにはなっている。
事件が起こる家って圧倒的に「他人」を家に入れたがらないんですよね
この台詞にもドキッとする。新型コロナウィルスを言い訳にしてリアルで人に会うこともないし、他人を部屋に入れないことが当たり前になってしまった。SNSで救われる部分もあるのかもしれないけれど、動物的憐憫がそれだけでは足りないこともあるだろう。結論はないが、猫はかわいい。