太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

糸井のぞ『僕はメイクしてみることにした』感想〜すべてはモテるためでもないリアルアバター美容入門

僕はメイクしてみることにした (VOCEコミックス)

『僕はメイクしてみることにした』

38歳の平凡なサラリーマンが飛び込んだメンズ美容の世界。ドキドキの冒険!
前田一朗、38歳、独身。平凡なサラリーマン。ある日、自分の疲れ切った顔とたるんだ体を見てショックを受けた一朗は一念発起、スキンケアやメイクを始めてみることに!

 疲れ果てた表情に危機感を覚えたフツメンの中年男性がスキンケアやメイクに目覚めてちょっとだけ世界の見え方が変わる1巻完結の読み切り漫画。スキンケアをしなきゃと思いながらも具体的にどうすればよいのか分からないなかで初歩の初歩からのハウツーやおすすめ商品。丁寧な洗顔からのスキンケアやメイクをしてみた効果について語られる。

 コスメを教えてくれるヒロインも登場するが、そこに色恋は発生しない。あくまで自分を労ることの大切さやメイクの楽しさに気づくことによって少しだけ自信が付いたり、親友や女性の気持ちに寄り添えるようになっていく流れが心地よい。過去に「今パックしてる」なんて連絡が来てたことの意味に今更気づけたりもする。

客観的な問題を棚に上げたセルフケア

 もちろんスキンケアやメイク自体の効果も少しは出てくるのだけど、中年男性の肌艶が少し良くなったところで特に見られていないという現実も描かれる。誰かのルッキズムのためのものではない美容に何の意味があるのかと思うかもしれないけれど、実際にスキンケアをしてみて自分だけが気づける僅かな変化に心持ちが良くなっていく効果が丁寧に描かれる。

 筋トレも美容院もコンタクトレンズもスキンケアもすべてはモテるためだと割り切ってしまうと、コロナ禍で人と会えなくなったり、サイゼリヤに連れて行って怒られたくないと悟ってしまえば自暴自棄な生活を許容することになってしまう。バリカンで坊主にして不精髭を伸ばし続けてもリモート会議のカメラをOFFにして、仮想空間のアバターを美少女にできる時代だ。

 そうではなくて、性別や年齢に拘らずともセルフケアとしての美容は自分で自分の機嫌をとって少しだけ心地よく過ごすための手段なのだ。『だから私はメイクする』でも語られる通りに、女性だって決して他人のためだけにスキンケアやメイクをしている訳ではないが、だからこそ男性だってしても良い。

セルフケアの手段は自由

 実際問題としてメンズメイクにいくかまではそれぞれの考えがあるだろうし、僕自身も化粧をしようとまでは思っていない。そのあたりはノーメイクで過ごす女性の同僚を登場させたり、化粧までするのはドン引きという親友が出てきて、その上でもそれぞれの多様性を認めていく流れがあるため、決してメンズメイク最高!というだけの話にはなっていない。

 僕自身は運動や栄養によるボディメイクが先行しているのだけど、それはそれで重要だと思っている。普段から発汗して、プロテインとビタミンCと水分を摂取するのは肌にとっても必要なことだろう。また若い頃に比べて増えてしまった小さな黒子(黒ニキビ?)や髭剃り負けを防ぐために皮膚科受診やレーザー脱毛を考えたりもした。どうせモテないし自分の好きなようにしようぜ。

強固なルッキズムハビトゥスにシラケつつノリ

 もちろん、おじさんがちょっとした違和感をなくすことに注力しても他人にとってはどうでもよいことだが、自分というリアルアバターを整えていく作業は難しいからこそ楽しい。ちょっとしたガーデニング趣味やプラモデル趣味のような感覚もある。まさにメイクだ。

 それはそれで強固なルッキズムハビトゥスに支配されて「すべき」ではなく「したい」と思わされているだけなのかもしれないけれど、少なくとも健康で文化的な生活には近づきやすいという点においてアイロニカルな没入をする依存先として悪くない選択肢なのではないのかもしれない。