デッドバイデイライトにどハマり
ここの所でやっているゲームは『Dead by Daylight(以下DBD)』である。ネットラジオで話題になったり、実況配信を観たりしているうちに自分でもやりたくなったのだ。
DBDの特徴は「非対称ゲーム」と呼ばれるネット対戦ゲームであり、1人の圧倒的な力や特殊能力で蹂躙する「殺人鬼」と4人のひ弱な「生存者」が殺戮と脱出という異なる目的を目指して激突する。
スプラッターホラーの世界に迷い込んだ気分
まずは生存者でプレイして透明になったり、罠でテレポートしたり、チェーンソーでダッシュしてくる殺人鬼に暴虐の限りを尽くされて瀕死状態になるが、それで終わるのではなくフックにつられて一定時間が経つか三回吊られるまでは脱出のチャンスがある。
他のプレイヤーが献身的なぐらいにフックから助けてくれたり回復をしてくれることに感動。なんとか隠れたり、殺人者が近づいてくる事に焦りながら発電機の修理をしていたら失敗して爆発したり。スプラッターホラー映画の世界に迷い込んだ気分だ。
何度も介助されながらゴール条件である発電機5個を直して脱出できた時は感慨もひとしおだった。決死の救助をしてくれたおじいさんが巻き込まれて瀕死になったが、助けにいったら自分もやられる状況になって「す、すまない」と自分だけ脱出するのは下手なハリウッド映画よりも感動する。
殺人鬼の圧倒的な力も自分で操作するとしょぼい
殺人鬼の特殊能力説明を読んで「そんなのチートじゃん!」と思いつつも理不尽に耐えるゲームデザインなんだなと思っていたが、ふと自分が殺人鬼をやってみるとこれが難しい。
そりゃ何回かは攻撃があたって吊るせるが、吊るした周辺に陣取っていると発電機がどんどん直っていく。慌てて発電機まで行ってるうちに救助されて顔が真っ赤。おじさん1人で4人を相手にしてるんだから、なんていうかこう手心を。
圧倒的とも思える特殊能力も自分で使ってみると色々な制限があったり、思った通りに当てるのは難しい。何よりも殺人鬼側は視界が狭いFPS視点なのと、生存者からは心音やオーラで位置がバレているので見つけるまでが一苦労だし、板をタイミングよく当てられるとうずくまったりしてしまう。
相手の気持ちが分かる男になる
つまり生存者の側から見れば殺人鬼が圧倒的に有利なように思えるけれども意外にそうではないし、むしろ上手い人に介助してもらえない殺人鬼のが難しいまである。自分が殺人鬼の時にされて嫌なことを生存者の時にやるようになると初心者脱出だろう。
これって、例えば上司にとっては複数人の部下がいるのだから1人の問題にかかりきりにはなれないとか、部下の認知を共有してないから現場と乖離した判断をしてしまう事に似ている。互いに「敵」ではないのに、DBDのように認知と期待のズレが起こりがちなのだと改めて気がつける。
これは婚活という非対称ゲームでも同じだろう。相手には相手の認知と状況がある。自分の認知だけを押し通しても上手くはいかない。
行動経済学としての助け合い推奨
相手の気持ちがわからないのは生存者同士にもあって、自分だけでなんとかしようとすると非常に難しいゲームになる。誰か一人が追いかけられたり、吊られたりしているからこそ他のメンバーが安全に発電機を直せるし、誰かを助けておく事は自分が助けてもらえる可能性を高める。
それに隠れて生き残るよりも、積極的に発電機を直したり、他のメンバーを助けたりという貢献をした方がゲームポイントが多くもらえる。積極的に助けてもらえた民度に感動していたが、行動経済学として極めて合理的に助け合った方が自分の利得にもなるのだ。
それぞれが自走するよりもチーム力を
自身を回復ができる「セルフケア」というパーク(特技)を持っていると単独行動しやすいが、回復時間が2倍になって動けなくなるため貢献できない時間が長くなる。瀕死で動けないのと、セルフケアをしてて動けないのはゲームを進行できない点では一緒だ。
これはチームビルディングにも通じていて、例えば新人が入った時点で他のチームメンバーに余裕がないからと自己学習に任せるのは一見合理的なようで戦力化が遅れて手が足りなくなったり、ベテランの異動や退任で破綻する。チームメンバーを助けることは将来の自分を助ける合理的な行動だ。
そんなわけでゲームに仕事論や恋愛論を学んだりしているのだけど、リアルの仕事は睡眠不足という状態異常に悩まされているかもしれない。「短時間熟睡」のパークを自分に装備できないものか。