太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

Grokにレスバを任せて実感する「メディアはメッセージ」とドラッカーの警句

レスバの風景が変わった──AIが煽りの代行者になる

ここ最近でのX(旧Twitter)で注目を集めているのが、xAIが開発した生成AI Grok のボットアカウントである @grok だ。これまでのGrok専用タブでの操作とは違って、リプライを飛ばすだけで処理を行なって返信してくれる懐かしいインターフェイスと、わざわざシェアをしなくても公開行動として参照してもらえる味わいがある。

Grok Botが公開されたここ数日においてレスバの風景が変わりつつある。もはや人間が直接相手にするのではなく、AIアシスタント「Grok」に任せて済ませるというスタンスが見られるようになったのだ。相手の発言に対して「@grok ファクトチェックして」「@grok どっちが妥当性ある?」という一言で済ませて、Grokに答えさせる。これは「お前なんてAIで十分」という、一種の存在否定的煽りでもある。

この態度は一見すると効率化の賜物のようでいて、実のところコミュニケーションの脱人間化という文化的転換を内包している。さらにはSNSというメディア空間における「メディアはメッセージ」というマクルーハン的な再解釈にもつながってくるのではないかと思えてきて興味深い。

「メディアはメッセージ」という言葉は、1964年にマクルーハンが発表した概念である。彼は、情報の内容以上に、その情報を伝える手段そのものが文化や社会に大きな影響を与えると主張した。AIが会話を代行するという現象は、この理論の再解釈を迫ってくる。もはや「誰が何を言ったか」よりも、「それが人間ではなくAIによる発言だった」という事実こそが、最大のメッセージとなり、煽りである。

「メディアはメッセージ」だからこそ必要な人間プロキシ

ところで、AIによる業務代行が進む中、人の介在価値が再評価されている。これは単なる手作業のことではない。曖昧な要件を言語化し、背景を踏まえた上で柔軟に対応するという、非常に人間的な能力を指すだけでなく、単純にやりとりを人間らしくすることに価値を感じる。現代のBPOではこの「ヒト手間」にこそ付加価値が宿るため、単純な自動化では置き換えられない。

BPO(Business Process Outsourcing)からさらに進化したBPaaS(Business Process as a Service)というモデルは、SaaSと同様にクラウド経由でシステムでは行えない部分も含めた業務処理を提供する構造である。人間をシステムを含んだプロキシとして扱うことで、処理自体の柔軟性を確保する。この構造における「処理代行」自体は生成AIの高性能化によって崩れてきているものの、発注者とのやりとりを行うメディアに対しては依然として人間らしさが必要となるのが現状である。

人は電話をかけても機械音声の応対だったり、AIが作ったとわかるメール文面に価値を感じることができない。成果物自体が高精度になったとしてもGrokにレスバを任されたかのような感覚に陥る「メディアはメッセージ」が成立する。したがって、生成AIが処理自体を代行できたとしても、最後に人間が介在するか、人間が介在しているかのように擬態することが求められる。チューリング・テストだ。

ここまで出力された文章の断片を元にして人の手で大幅な加筆修正をする。ここからはPCを使うべきだし、ほとんど書き直すことになってしまうのだけど、この「編集」をしている時に魂が宿る。文体、取捨選択、掘り下げ、裏取りと引用。そもそも自分が主張したいと暗黙的に思っていた事物の再言語化。それこそが生活雑感系文章を書く醍醐味であろう。編集工学だ。 それで連想したのが実印ハンコの「手彫り仕上げ」だ。

この「ヒト手間」は、言い換えれば「機械彫りハンコの手彫り仕上げ」であり、最終的な価格を決定づける重要な要素となる。今のところは。

レスバにGrokを使うことの表と裏とドラッカーの警句

レスバにGrokを使うという行為は、表面的には合理的である。AIは過去ログや知識ベースに基づいて論理的な反論を構築し、時に人間以上の精度で相手の主張を崩すことができる。にもかかわらず、相手をAIで処理しようとする態度が「侮辱」として成立するのはなぜか。それはSNS上での対話が、情報のやり取り以上の意味を持っているからだ。

そこには「人格」と「存在の承認」が含まれており、それをAIに代替されることは、存在そのものを軽んじられる行為に等しい。したがって、「Grokで充分」は単なる効率化ではなく、「お前に時間を割く価値がない」という残酷な煽りとなる。

Grokによるレスバ代行は、SNSにおける新たなコミュニケーション形態を提示している。それは合理性と挑発性が同居するものであり、「@grok」というメッセージが成立するのは、逆説的に人間性の希薄化とSNSの制度疲労を示しているとも言える。だが、そうした風刺性の裏には、「本当は人間と対話したい」という根源的な欲求が潜んでいる。AIに任せたくなるほどの煩わしさと、しかしAIでは満たされない孤独。この二律背反の間で、我々は今日もまたレスバを行う。

元々しなくても良いものを効率よく行うことほど無駄なことはない
ーーピーター・ドラッカー