ネットミームのマンデラエフェクト
令和ロマンの髙比良くるまが吉本をやめてからの Youtube 動画が面白くてよく見ているのだけど、『くるまが自粛中に『このネットミームあった?なかった?』クイズ』を視聴している最中に不思議な感覚に襲われた。ネット・ミームについてはそれなりに把握しているつもりだったが、提示される真偽に自信が持てなくなっていくのだ。ありそうな気もするが、聞いたことはない絶妙な塩梅。
「ないで終わらないで手動かせっつってんの」という決め台詞の通り、本当にバズっていた可能性がある「ないのにあるある」が雑に捨てられていく内容と、そもそも令和ロマンの漫才にある「わかる人にはあるある」の塩梅との関連に面白さを感じた。端的に言えばマンデラ・エフェクト的な体験自体が笑いになっているのだ。
「あるある」と「ないない」の振り子
「漫才勝負」のシーズン1と「笑わせ合い」のシーズン2。漫才のスタイルはここで分けるのがしっくりくる。 でもボケの内容で考えたらもう少しグラデーションか。多様化初年度の2019はスタイルは様々だけど内容は2018寄りというか、「あるある」のお笑いだな。そんで2020からが「ないない」のお笑い。あんま好きな言い方じゃないけど「大喜利」のお笑いとも言える。
くるまが著書『漫才過剰考察』の中で述べているように、かつての漫才は誰もが共感できる日常の「あるある」ネタを中心としていた。しかし、インターネットが日常化した現代では、一般的な共感ネタは瞬く間にネット上で消費され、プロの芸人達は奇抜で意外性のある「ないない」ネタに活路を見出すようになった一方、それは日常的な笑いから乖離しているため、「わかる人にはあるある」という形式にも揺り戻しが起こってきている。
実際、令和ロマンの漫才は適度な難易度のクリシェを積み重ねることで、全部のネタはわからないかもしれないが、ケムリの解説ツッコミと周りの誰かは笑っている塩梅でうまく消化できるように調整されている。ネタづくりの際には X を検索していると公言しており、現代の若者は深掘りするような共通体験が喪失しているため、ネットでちょっと見たことがある「真実よりも、そんな感じだろうな」となるネタが受けやすいと指摘されている。
「ないのにあるある」というマンデラエフェクト
令和ロマンの漫才は「わかる人にはあるある」を刺激しつつ、ケムリのツッコミで本当にあることなんだという安心感と、ケムリよりも早く分かることもある観客の優越感をコントロールしているのだけど、今回の動画は「ないのにあるある」という虚構の共感を出すことに成功しており、それがマンデラエフェクトを想起させるのだ。
『マンデラエフェクト』とはネルソン・マンデラが実際よりも早く死去したと多くの人が誤って記憶していたことに由来し、「スター・ウォーズ」の有名な台詞や、実際には存在しない商品など、多くの分野で観察されている。これを成立させる要件はまさに「真実よりも、そんな感じだろうな」という塩梅であり、「わかる人にはあるある」→「わからない人にはないない」と「本当にないからないない」の差が分からなくなってくる宙吊りの体験が発生する。
Demis Hassabis says hallucination isn't always a bug. It can be a tool for creativity.
— vitrupo (@vitrupo) 2025年5月24日
To solve hard problems with AlphaEvolve, DeepMind forced the models to hallucinate.
Most ideas were nonsense but some turned out to be useful.
"You can substitute the word hallucination for… pic.twitter.com/53rBHo1TUf
「(今はまだ)ないのにあるある」を発見してしまったら、それは新規の価値提案の可能性でもあって、ハルシネーションは創造性というテーゼとも接続する。まだないのであれば、真実にしちゃえばよい。まさに「ないで終わらないで手動かせっつってんの」だ。
胡乱な集団幻覚と胡乱さを現実化する拡散モデル
あれぇ? まだ、そのネタ引っ張ってるんだぁーって最初は思ったんですよ。でも、おかしなー、この人はあのブログの管理人じゃないしなーって思って。それでも複数人がいかにもなデマを流して虚構の世界観を作ることがあったので、スルーしてたんですよ。
現代ではイヌー界隈の集団幻覚など複数人や生成 AI で虚偽の情報をもっともらしく生成し、フィルターバブルの中であたかも真実であるかのように提示する方法論によって虚構を瞬時に現実として受け入れやすくしたり、逆に「本当にあるのにないない」と思わせてしまう可能性さえ高まっている。
令和ロマンが生み出す笑いは、このような現代的な情報環境への批評性をも抉り出している。彼らは「わかったつもり」という曖昧な状態を積極的に利用し、視聴者がその状態から抜け出すために検索し、情報の真偽に苦悩するプロセスそのものを笑いに昇華しており、なんてことはどうでもよくて、本も動画も面白いからみんな観て!