太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

VTuberてぇてぇ劇場のロケ地として使われる『トモダチコレクション』と俺くんのいない世界で神様気取り

トモダチコレクション わくわく生活 -Switch

推し活コレクション

13年ぶりの新作となる『トモダチコレクション わくわく生活』が4月16日に発売されてから、SNSで想定外の遊ばれ方が広がっている。リアルな友達を作るのではなく版権キャラクターに似せたMiiをキャラメイクし、そのMii同士が島でドラマを繰り広げる様子をレポートするというものだ。推し活ワールドをエディットしながら「てぇてぇ発生器」として活用する光景が、ゲームの本来の想定を超えて定着しつつある。

配信上では「ホロライブ」の宝鐘マリンや「にじさんじ」の魔界ノりりむなど、女性VTuberを中心として体験版がプレイされている。例えば宝鐘マリンは自分の他に、同事務所に所属する兎田ぺこらや大空スバルのMiiを作成してゲームを楽しんでいた。本人のこだわりによって作成されたクオリティの高いMiiに、視聴者からも反響が寄せられている。配信では、大空スバルが宝鐘マリンに恋をするというイベントが起こって思わず爆笑するなど、本作ならではの魅力を体験していた。

VTuber自身が所属事務所の他キャラクターを投入して実況をしていることも流行っており、むしろそういう楽しみ方のが「普通」とすら感じる。箱庭内でMiiがで再現された版権キャラが誇張されたモノマネをしながら恋愛ラブコメなどのドラマを産む遊びが、独自の笑いを生んでいる。

神視点の箱庭という推し活の形

ここで重要な区別がある。この遊び方にはモブキャラとしての「俺くん」も「夢女子」も存在しないという点だ。夢女子とは推しキャラに自分を投影し「推しと私」という一人称視点で妄想・二次創作を楽しむ在り方で、俺くんも同様に自分を主人公として配置した二次創作の代名詞だ。配信においては夢女子としての振る舞いとトッププレイヤーを兼任するマリン船長の立ち位置の奇妙さはあるけれども。

トモダチコレクションでの推し活は「推しと推し」の関係性を神視点で眺めることにある。腐女子やBL文化に近い構造だが、その状況を能動的にセットアップしているが行動自体は制御しない点で、「神の箱庭」に近い。プレイヤーは島の管理人として俯瞰的な神視点に立ち、Miiたちが自律的に展開するドラマを外側から観察する立場になる。

推しキャラに「僕のことを見てほしい」という欲求ではなく、「推し同士の関係性を見たい」という欲求が満たされる仕組みだ。「てぇてぇ」はゲームAIが自律的に生成する副産物であり、プレイヤーはその条件を設定する設計者であるところに面白みが宿る。この「自分が設計したものを神視点で眺める」遊びについて、個人的にはファイプロから学び、ガンパレードマーチで確信を得た覚えがある。

見た目や技や行動パターンを設計したエディットレスラーのCPU同士の対戦を観戦に耐えうるものに試行錯誤していくところに力点が移る。(中略)自分が介入できないお披露目の緩急が好きなのかもしれない。

エディットレスラーを設計してリングに放り込み、プレイヤー自身は観客席に回ってドラマを外から眺める。そこにも俺くんは存在しない。「神視点の箱庭」としてゲームを楽しむこの構造が、トモコレとプロレスで成立するのは恋愛と格闘技は一緒だというバキのような話なのかもしれない。

俺くんも夢女子もいない箱庭でてぇてぇが生まれる

ホストクラブやキャバクラという水商売の構造は、スタッフの視線と言葉が「客であるあなた」に向けられることで成立している。商品は「あなたに向けられた推し」の経験だから、必ず俺くんないし夢女子に相当する「受け手」が必要になるが、俯瞰遊びには俺くんや夢女子がいないことが水商売との違いとなる。

これからのゲームは自分が持ち込んだAI Agent(BYOAA)に経験を与えるロケ地になって人間はリアクションやエピソードトークを切り抜き動画で楽しむことになるのではないかとも思えてくる。当然のことそのAI AgentにはAI Tuber的な機能を持たせることになるだろう。

AIエージェントをゲームというロケ地に送り込んで切り抜き動画を楽しむようになる可能性について考えているが、トモダチコレクションにもその萌芽を感じる。AIエージェントとしての版権キャラに似せたMiiを持ち込んで島に放流し、ドラマを観察する。自分が持ち込んだキャラクターに経験を与えるロケ地としてゲームが機能している点は同じ構造だ。

そして、このAIエージェントは決して「自分」のデジタルクローンを志向してはいない。俺くんも夢女子もいない箱庭でてぇてぇが生まれる裏を返せば、推し活においては推しを愛するファン自身が最大のノイズになりうるという自覚と奥ゆかしさがある。それは決して「成熟」ではなく保護者気取りのベガ立ち勢という別種の気持ち悪さがあるのだけれども。