太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「社会適応という名の悪」は死ぬまでの成長を期待する新たな姥捨山に殉じる罪悪感なのではないか

エクストリーム・ジョブ(字幕版)

詐欺症候群と「鍛えることを女々しい」と思う世界観

非モテからの脱却に成功した私だったが、私の中には違和感が残った。「脱オタ」を達成するために私は興味も無いファッションや流行の遊びを勉強して大金をつぎ込み、夜の盛り場に繰り出しては女性に声をかけ、明るく陽気に振舞い女性たちを楽しませた。いかにも自分が「リア充」であり魅力的な男性であるかのように本来の「非モテ」な自分を偽り、女性たちを「騙した」のだ。

 弱者男性論そのものについては沈黙しておこうと思ったのだけど、この文章を読んで色々と考えたい点が出てきた。Twitter の Space 機能を用いて id:Ta-nishi さんと話していく中でいくつかの論点について自分なりの腹落ちをしたのでメモしておきたい。

この症候群にある人たちは、能力があることを示す外的な証拠があるにもかかわらず、自分は詐欺師であり、成功に値しないという考えを持つ。自分の成功は、単なる幸運やタイミングのせいとして見過ごされるか、実際より能力があると他人を信じ込ませることで手に入れたものだと考える。

 先の文章を読んでまず連想したのが「詐欺師<インポスター>症候群」のことだ。うまくいくためにした努力について「嘘をついた」という罪悪感を覚えること。それ自体は一般の人にもよくあることで「詐欺師体験」と呼ばれるべきだとも言われる程度のことではある。

コンフォートゾーンに抜け駆けする「罪悪感」

 ありのままの自分でも心地よい場所は「コンフォートゾーン」と呼ばれる領域であり、ストレスを感じない快適空間だ。しかしながら、いつかは家族や他者との関わりであったり、学校や仕事上の難問だったりに当たって現在のキャパをオーバーすることになるから、ストレッチゾーンと言われる背伸びを経てコンフォートゾーンを広げていくのが「成長」や「社会適応」と呼ばれる。

 ストレッチゾーンの苦難にストレスを感じたり、偶然うまくいくほどに本当の力ではないという居心地の悪さを感じるのは一般的な体験であるが、その努力自体に「罪悪感」を感じるところに重度の詐欺師症候群を感じる。本人もグラップラー刃牙の花山薫を引いて「鍛えることは女々しい」と言うのだけど、それを早期に行う従うほどに「未成熟なありのままの自分を完成形だと押しつける」という現代社会規範における罪を犯しており、個人と社会のコンフリクトが見出せる。

コンフォートゾーンに留まる権利と成長の脅迫

 しかしながら、我々も良い歳なのであるし、今までも生きてきた中で「もっと成長を続けなければならない」という強迫観念を植え付けることにも問題がある。雑な年齢論を言っても仕方がないが厚生労働省として幼年期0歳~、少年期5歳~、青年期15歳~、壮年期30歳~、中年期45歳~、高年期65歳〜と定義しており、自己決定の責任範囲が当初は少なく徐々に増えていって認知の衰えと共に減っていくが実際だ。

 特に少年期の自己決定を尊重しすぎるのはネグレクトであり、性犯罪にも繋がるからその時点での自由意思を尊重しすぎるべきではないし、本当の自由意志を獲得するためにこそ強制執行力を持つべきだからこそ義務教育があるし、会社であれば最初の数年ぐらいは育成を内包した投資期間だ。

 戦国時代であれば二十歳そこそこになるまでに生き残るための諸々を強制的に身につけなければ死ぬ可能性が高いのから早熟が前提になるし、危機を避け続けた老師の生存バイアスにも一定の価値がある。現代は成長しなくてもそうは死なない安全な社会であるからこそ生存バイアスに価値がなく「成長し続けずに生き長らえれば老害になる」という精神的な脅迫がセットとなる。

発達段階を終えてからの成長教という悪に殉じる罪悪感

 しかしながら、壮年期を超えた人間に対する成長の脅迫こそが個人を失調させる社会病理でもある。

30歳を超えて「これから頑張ります」「これから成長します」なんてのは殆んど通用しない。既にこれだけの経験(元金)があるなら通常の努力で維持できる成果(利息)だけでも要求水準以上のメリットがあるという見込みが市場価値となる。100%のコミットをし続けることで達成できるという話であれば、要求水準通りの成果が最大になるし、むしろ下回る可能性が高い。

 30過ぎたら利息で暮らせと言うのもそういった話で、さらに成長するためのネクストステージを選ぶ自由意志は開かれているが、現実問題としての成長ペースは鈍化する。ある程度のところからは、ありのままでも問題が少ない環境を維持することと、自分自身の機嫌を取って理不尽な自責や他責に転じさせないためのペインクリニックの観点も必要となる。それを望まないおじさんに「成長しろ」を強制するのは鬱病患者に「頑張れ」と言い続ける巨悪に近しい。

 成長教のメタ的な非合理さと脱洗脳については近年の漫画のテーマにもなってきている。「赤ちゃんよりも成長したい」と思う病理は物理的な鈍化を感じてはいるから出る言葉だ。ある程度の状況になってからもコンフォートゾーンを壊し続ける成長教こそが悪だとすると、その悪に殉じて相手を騙すための努力に感じる罪悪感が腹落ちしてくる。

 もっと早い段階から罪悪感を感じていたという主張もあるのかもしれないが、例えば15歳ぐらいの段階よりも成長することを本当に悪だと感じていただろうか。あくまである程度は自我が確立していく中で発生した「追加の社会適応」の要請に応じてしまったことに罪悪感を感じていたのではないか。その基準となる時期が各々によって異なるとしても。

名誉退職と死ぬまでの成長を期待する新たな姥捨山

 実際問題として、死ぬまで成長教の内面化がより進んだ社会の状況はなかなかしんどい。

韓国の民間企業の定年年齢は一般的に55歳前後と言われるが、実際には40代後半になるとほとんどの労働者が退職を意識するという。労働者が感じる退職年齢は48歳程度という調査結果(注1)もある。つまり、多くの労働者が定年になる前に職場を失う。このような40代での退職を韓国では「名誉退職」と呼ぶ。後進に道を譲る名誉ある自発的退職というわけだ。

 すでに韓国においては、成長をし続けられなかった中年労働者が後進に道を譲るために「名誉退職」をさせられて小規模飲食店を始めることが一般化している。ある程度以上の年齢になったのに重役につけなかった程度の成長しかできない人員を削減したいという圧力。米国系のコンサル会社においてはUP or OUT(昇進か退職か)が求められるが、それが一般層まで降りてきている。

 これまでのサラリーマン生活を捨てて飲食店を始めるのはコンフォートゾーンではない。新しいストレッチゾーンに過剰適応していくなかでフライドチキンの人気店を作り上げることもあれば、大半は適応できずに破産する。会社内で生き残るための成長をし続けられないなら、よりリスクの高い小規模飲食店を起業させることによって成長を強制するわけだ。それは「老害」となった人材を捨てる姥捨山のようであって、従前の姥捨山とは異なる。なんせ死ぬまでの「成長」を期待し続けてくれている。デス・ゾーンだ。

 日本においては、まだそこまでの状況ではない。成長に対する罪悪感であれ、苦痛感であれ、残りの余生を不愉快で満たすことが善とは言えない以上は成長し続けなくても問題の少ないコンセンサスを持った環境を作り上げることが各々にとっての生存戦略となるのだろう。それは人気のフライドチキン屋を経営ことよりも大変なことなのかもしれないけれど。