太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

磯部涼『令和元年のテロリズム』感想〜生まれなければ苦しみもない反出生主義を後押しする主義なき爆弾の連鎖

令和元年のテロリズム

令和元年のテロリズム 

改元直後、日本を震撼させた3つの事件の現場を『ルポ 川崎』の著者が追う。 まったく素顔が見えない川崎の無差別殺人犯・岩崎隆一。元農水事務次官の長男・熊澤英一郎は父親に殺されるべきだったのか? 戦後で最も多くの死者が出た京都アニメーションの放火事件犯・青葉真司が抱える深い闇。令和の幕開けに起こった新時代の前途多難を予感させる大事件から浮かび上がってくる現代日本の「風景」とは?

 2019年5月1日から始まった令和時代。新型コロナウィルスが蔓延する以前のモラトリアムのような期間にはいくつかの象徴的な事件が起きていた。現在となっては引きこもってリモートワークをしている人々も一般化したが、当時はまだまだ仕事場や旅行やサードプレイスなどで「外こもり」を続ける人々と、家の中に「引きこもり」を続ける人の分断が大きかったと記憶している。

 伯父夫婦や両親に養ってもらう「引きこもり」をしながらも、自分がそうなってしまった理由を彼らに求めて、ちょっとしたことで激昂しては通り魔事件や家庭内暴力や放火事件に至る思想なき恐怖(テロル)。そこに至るまでの理由は決して一般化できるものでもないが、先送りをしきれなかった社会の構造的欠陥を露呈させ恐慌状態に陥れたという点で共通している。

思想なき爆弾の発生と実存を認める恐怖

テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。

 そもそもテロリズムとは、政治的な目的を達成するための「イズム(主義)」であるはずなのだが、事件を起こした個々人は政治的な目的や動機や主義を持っていないのにも関わらず、結果として恐怖(テロル)を用いて効率的に社会を動かしてしまったという側面がある。

政治的な意図はないが、その極端さ、陰惨さ故にテロル(恐怖)が社会に対して影響をもたらす犯罪を広義のテロリズムと解釈するならば、改元の年に起こった凶悪犯罪を検証することで見えてくるものがあるだろう。

 意図の介在しない理不尽な暴力は精神疾患も新型コロナウィルスも同じだが、思想なき爆弾の発生と実在を認めることによる社会破綻の実感は凄まじいものがある。それを産み出している社会にも、そのリスクを受け入れざるを得ない現状にも。むしろ政治的な目的という理路がないからこその恐怖(テロル)だ。

価値観を保守的にアップデートするテロル

 そのように考えると、結果として警戒のデフォルト値を変えるのが現代の恐怖(テロル)の役割になっていると言えよう。卑近な例で言えば「マッチングアプリで会った女性にぼったくりバーに連れていかれる事件」が報じられたとして、その女性自身に政治的な意図があるわけもないが、その報道を聞いただけの僕自身にとってはアプリを削除する理由になる。

 これを推し進めると、エリート家族の子供が引きこもった挙句に通り魔になるような恐怖(テロル)と、どこか情緒に欠けて他者の痛みをあまり理解できない自分がちゃんと子育てできるとは思えないといった感傷が重なりあうことによって反出生主義的な傾向を後押しするような理路が個々人に生まれえる。

現在の社会状況、または自らの置かれた社会的状況に対して悲観的観測を抱きながら、それを「現実」として受け入れようとするときに起こる人々の行動(ある意味で反動)。
その「悲観的状況こそが「現実」なのだ」と諦観する、一種の「絶対観」的な「現実肯定」に基づいて、「スロー消費」「非婚・晩婚化」「少子化」「NEET」「ひきこもり」「自殺」などのように、さまざまな社会活動――消費行動や人間関係、ひいては自らの生存そのものを消極化、縮小、または消滅させていくこと。
これらの消極的かつ間接的な暴力によって、意図するとせざるとにかかわらず、「見えない社会の空洞化」が引き起こされる。現在の社会に対する消極的抵抗、あるいは沈黙の異議申し立てであるといえる。

 そもそも反出生主義自体が消極的なテロル(サイレント・テロ)でありながら、それを意図せずとも後押しするような恐怖(テロル)が蔓延しはじめたことこそが「令和元年のテロリズム」なのだろう。暴力行為が社会問題への提起として行われたとは一般的には考えづらいが、その動機が明白になっていないからこそ「もし、そのような主義を持ったテロルだったら?」といった仮定を前提にしたオルタナティブな論考も同居しえる。

おそらく夫の側も仕事が大変だったりして余裕がないし、稼いでいる側だから役割分担したいという感覚がある上で家庭内を安全地帯だと思って子供のようなワガママや笑えない冗談を言っているとも想像できるのだけど、それらの全てがかんに触ってくるのが夫婦関係ハンター裏試験なのかもしれない。言ってくれなきゃ分からない話と、言っても分かってもらえなかったという学習性無力感が同居する。

 さまざまな事件や情報によって自身の価値観をアップデートするほどに消極的なテロルに加担している皮肉。進撃の巨人における「安楽死計画」に近しい気分を個々人が勝手に抱き始めることなんてテロルの実行者達は意図していなかったはずなのに雄弁に危険思想を補強していく。

「子供を殺してください」という親たちのテロル連鎖

自らは病気の自覚のない、精神を病んだ人を説得して医療につなげてきた著者の許には、万策尽きて疲れ果てた親がやってくる。過度の教育圧力に潰れたエリートの息子、酒に溺れて親に刃物を向ける男、母親を奴隷扱いし、ゴミに埋もれて生活する娘……。究極の育児・教育の失敗ともいえる事例から見えてくることを分析し、その対策を検討する。現代人必読、衝撃のノンフィクション。

 『令和元年のテロリズム』で描かれている事件までの経緯については随分と既視感があった。 2015年の段階で上梓されたこの本ではまさに様々な子育ての失敗からの家庭内暴力や精神病の発症やその顛末について克明に描かれている。

 熊澤英一郎殺害の事件においては父親からのコミックマーケットやTwitterなどを通じた真摯なコミュニケーションを経ても改善せずに直接的な殺害に至ったが、他のケースにおいても「二度と施設から出さないでください」「あの時救急車を呼ばなければ」と間接的かつ消極的な殺人を示唆されることは珍しくもない。

英昭は「怒りの矛先が子供たちに向かってはいけない」と考え、台所の包丁を使って英一郎を殺害。その際、意識したのが、4日前に起こった川崎殺傷事件だった。「息子も他人に危害を加えるかもしれない。周囲に迷惑をかけたくなかった」。

 出生した子供を積極的であれ消極的にあれ「なかったこと」にすべく発生する恐怖(テロル)は、それ以前に起きた直接的には関係のない恐怖(テロル)が後押ししている。もちろん「本当の理由」なんてものは簡単にわからないのだけど、そのような気分を作り出したことまでを否定することはできない。少なくとも自殺の報道をすれば自殺が増えるのは統計的にも明らかように積極的に子供を産み出したい気分も萎えさせえるだろう。

反出生主義に至る消極的なテロル

 『令和元年のテロリズム』を読んで最も意外に感じたのはアルコール依存による問題がないことだ。『「子供を殺してください」という親たち(新潮文庫)』においては酒が原因になっていることが多いし、奇しくもストロングゼロ文学やアルコール使用障害のエッセイなども上梓されていた時期が令和元年なのだけど、不思議なぐらいにそれはない。

 やや唐突に出てくるようにも思える「上級国民」による多人数を巻き込んだ交通事故(これも思想なき爆弾!)にしたって飲酒運転ではなく老化による認知の衰えだ。それは酒さえ飲んでなければ「治る」といった幻想までを打ち砕く精神疾患や認知の衰えでありながら、理路の通じない爆弾が周りに実存しうる切断処理の証左にもなる。

対して彼らが生み出したテロル(恐怖)に煽動された人々の反応ははっきりとしている。そこでは平成後半を通して社会で醸成されていった他罰性が露わになった。

 自身の他罰性を認識することは自分が他者から罰される恐怖(テロル)につながり、誰かの失敗は自分の無力感を後押しする恐怖(テロル)となる。その結果として「生まれてこなければ苦しみもない」という最大の消極戦略を選ぶサイレントテロリストになることを後押しする。

 先送りをしきれなかった社会の構造的欠陥を露呈させる主義なき爆弾の連鎖は実行者の意図を外れて、タイムリミットを超えた現状維持を引き伸ばす破滅に導きうる。それに抗うべきなのだといった教訓めいた結論をだせないまま「お前で末代」を結果として甘受しようとしている自分自身の中にある消極的なテロルに気付く。