太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ネタバレ回避駆動と感想戦参加チケットに変わりゆく映画館での鑑賞体験

今夜、ロマンス劇場で

シン・エヴァンゲリオンで揺れる思い

 新世紀エヴァンゲリオンが完結する。深夜放送で話題になった頃に録画したり、考察コミュニティに入り浸ったり、二次創作やゲームを含めて楽しんでいたのだけど旧劇場版で自分の中ではいったんの終結。序破Qも映画館で鑑賞しているが、Qの展開を今やる理解できなくて醒めていったし、そもそもアニメを観なくなる程度までの年月が経っていた。

 もちろん総括的に観ることになると思うが、現時点で映画館に行くには密が過ぎるし二時間半の上映時間には憂鬱も混じってくる。自宅には快適なホームシアター環境があるし、他と同じように配信レンタルが出てからで充分程度の温度感だったのだけど、揺れる。

ネタバレ回避駆動の焦燥感ともやもや

 既に32回ぐらい詳細なネタバレをくらって高精度な脳内上映ができるようになってしまった『花束みたいな恋をした

 まずはネタバレ問題だ。『花束みたいな恋をした』で何度も何度もネタバレをされた経験がある。特に Clubhouse において関係のない文脈においても雑談的な語りがはいったり、例え話やジャーゴンとして着実に出されていった。別に思い入れのある作品ではないし、それがなければ認識すらできなかった作品だから問題はないが、これから観ても確認作業にしかならない悲しみがある。

 流石に『シン・エヴァンゲリオン』においては直接的なネタバレを回避してSNSなどにアップする人が多いが、それでも空気感は分かってしまうし、想像できるような伏字で言われるのもなかなかだ。現在のSNSにおいて、それらを回避するのは難しいし、何も知らずに観る体験は永遠に失われる焦燥感がある。

 かと言ってSNSを絶つのも残念だし、前述の通りで温度感がそこまでは高くない。そもそもネタバレ回避駆動の焦燥感で動くというのは、自身のポリシーからしてもあまりよいことではないし、映画館での鑑賞に対するハードルは2年前に比べて随分と高くなった。この時期は花粉も飛んでるし。

感想戦参加チケットとしての映画館での鑑賞体験

 『ピクニック』は太宰治賞をとった今村夏子『こちらあみ子』に付属するシングルB面のような短編。敢えて出版社紹介の文章に出てくるわけでもない作品名を記号として使うのが『はな恋』っぽいが、映画と同様かそれ以上に感想戦が楽しい内容であった。

 それよりも残念なのは感想戦への参加チケットが得られないことだ。本を読んだり、映画を観た人同士での感想戦は楽しいし、Clubhouseや Spaces でそれ専用の部屋を立てやすい状態になっている。自分で語ることがなくても、やや拙速に書かれた批評文を読んだりするライブ感も楽しい。現代の映画館での鑑賞体験はリアルタイムの感想戦への参加チケットを内包したものになっている。

 電子書籍化された小説への感想戦チケットであれば、その場で配信購入をして読んでから参加するまでがほとんどノータイムで実施できる。もちろんコンテンツそのものを観るための時間は必要だが、書籍の配達を待ったり、映画館を予約して出向いていく必要はない。

感想戦参加チケットは上映タイムラインに価値がある

 つまり感想戦への参加チケットという観点においてはコンテンツの鑑賞形態としての映画館が優位にあるわけではなく、上映形態のタイムラインそのものに優位がある。

ワーナーはすでに先日、「ワンダーウーマン1984」を12月25日からアメリカで劇場公開と同時に「HBO Max」でも配信すると発表(日本での劇場公開は12月18日)。米バラエティによれば、コロナ禍で全米の劇場が完全再開する見通しが立たず、ワーナーは今回より大胆な決断を下したが、経営維持に必死な劇場側にとっては大きな打撃となる。

 ワーナーは一部の作品において映画館とインターネット配信を同時公開するようになってきている。僕自身としても配信レンタルにお金を払いたくないわけもなく、混んでいる映画館に行くのは気が重いだけだ。

 特に昨年から観たいと思える映画が何本もでてきて嬉しい悲鳴をあげているのだけど、配信レンタルがでてからでないと観られていない現状があるし、既に感想戦会場も過疎っている。

 もちろん映画館の大きなスクリーンで観た方が素晴らしい体験になる可能性も高いのだけど、ネタバレ回避駆動と感想戦参加チケットの成分が高くなっている現代においては、可能なかぎり家でリアルタイムで鑑賞して感想戦への参加チケットを手に入れたい。