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『犬鳴村 恐怖回避ばーじょん』感想〜拡張現実で「弱々しさ」を炙り出すホラー抜きのホラー映画に残る業

犬鳴村 恐怖回避ばーじょん

『犬鳴村 恐怖回避ばーじょん』

あなたは日本最凶の心霊スポット“犬鳴村"を知っていますか?
九州に実在する最恐の心霊スポット旧犬鳴トンネル。その近くには日本政府の統治が及ばない集落“犬鳴村"があり、そこに立ち入った者は決して戻れないという、都市伝説がある。書き込みサイトやSNSには村周辺を訪れた恐怖体験が数多く寄せられている。
犬鳴村は、旧犬鳴トンネルの先にあると言われているが、現在はダムが建設され、日本地図にその痕跡は残っていない。これは単なる都市伝説なのか、真実なのか…決して触れてはいけない“犬鳴村"が、Jホラーの第一人者・清水崇監督によって完全オリジナルストーリーで映画化! そして、本作待望のヒロインとして白羽の矢が立ったのが、『ダンスウィズミー』でダンス女子を熱演した三吉彩花。主演として臨床心理士の奏を演じ、大切な人達を守るため、“犬鳴村"の呪いと恐怖に対峙する!

 Jホラーをリブートした「村シリーズ」の第一弾『犬鳴村』。その恐怖を回避するための各種演出がはいった映画が『犬鳴村 恐怖回避ばーじょん』である。『花束みたいな恋をした』にも出てくる実写版『魔女の宅急便』で邦キチ的にも有名な清水崇監督。通常版は観ていたこともあって購入や有料レンタルを流石に躊躇っていたのだけど、Amazon Prime Video の対象になったことで観ることができた。

恐怖を回避して台無しにする演出

 まさに予告編の通りであるが、恐怖シーンのたびに以下のような演出が入る。

  • コミカルな音楽
  • 間の抜けた効果音
  • ショックシーンへの予告演出
  • タツッコミ的な吹き出し
  • バラエティ番組のようなテロップ
  • グロシーンへのモザイクや「見せられないよ!」

 逃走シーンに流れる『天国と地獄』(運動会のアレ)、いらすとや画像の貼り付け、そして急な川口浩探検隊ブラック企業ドキュメンタリー風味などなど映画本編のタイムラインは変えずに拡張現実的な演出が入るだけで良い意味で台無しになる。

驚かせるためのおもてなしを逆説的に知る

 特に関心したのが、予告演出だ。「電話まであと○秒」「下からくるよ」と事前にテロップが出るとまるで驚けなくなる。そもそも「驚く」と「怖い」は異なる感情であるが、ホラー映画においては重要なくすぐりである。

 ホラー映画を観客は、「怖がらせて欲しい」と思い劇場の座席に座る。同時に、「多少の怖さじゃ驚かないぞ」という対抗意識もある場合が多いだろう。
 ショッカー・シークェンスは、その観客の心理に応える為のサインなのだ。「これはホラー映画だ。怖がっていいんだよ」というメッセージであり、観客の鑑賞モードを怖がるものへと移行させる装置だと言える。

 実際問題として驚きがないとモード変更ができなくなるためか、まったく引き込まれない。『世界まる見え!テレビ特捜部』とかでも、「これから驚愕のシーン!」みたいのがでて興醒めになっていたけれど、不意を突かれてビクッとなる気恥ずかしさや心拍数の上昇があってこそのホラー映画なのだと逆説的に感じることができる。もちろん恐怖回避をしていないバージョンではちゃんと驚ける作りになっている。

 他にも『呪怨』の映画版に主演した奥菜恵への執拗ないじりテロップ、「霊って車で撒けるんだ?」「スタッフさん。映ってるよ。NGでちゃうよ」といった第四の壁を超えた吹き出しテロップが恐怖心を台無しにする。つまり驚かせず、作り物であることを明示し続けることで、何が失われるのかが分かる構造にある。

拡張現実映像表現の可能性

 もともと、ホラーゲームを『SNOW』という拡張現実的なフィルターアプリで撮ってみたり、アダルトビデオを撮ってみる遊びが流行っていたのだけど、台無し感がありつつも逆に怖くなったり、個人撮影のライブ感が出て捗ったりする効果があった。

資生堂は8月21日、SnapchatのPC用カメラアプリ「Snap Camera」(スナップカメラ)を介して、PC用オンライン会議ツール上でメイクアップブランド「マキアージュ」の最新メイクを楽しめるARフィルターの提供を開始した。Microsoft Teams、ZOOM、SkypeGoogle Hangoutsで利用できる。

 リモートワークが増えることで、化粧の再現を拡張現実的な動画フィルターで再現するソフトの需要が出てきたし、vTuber もある意味では拡張現実であると言える。これまでの映画解説といえば、音声による解説までだったが、映画本編は映画本編でありつつも拡張現実映像表現の可能性があるのかもしれない。実際ちょっとした幽霊の映り込み解説テロップで見逃しに気づいたりもした。

 『リング』が流行っていたことによるアンチテーゼとして『呪怨』には物理的な実在性を強く感じさせる演出が多かったが、本作でも幽霊プロジェクターや犬女などそれはどうかと思うレベルの実在性があるし、むしろスタンドバイミードラえ……。物理的な実在性がある幽霊と物理的な実在性のない拡張現実映像表現が重なる倒錯。存在していることは見ることによって確定的になるはずなのに、存在していないからこその「拡張現実」なのだ。

ホラー抜きのホラー映画に残る血の因果とおしっこ

そしてホラーが弱々しいと言える二つめの点は、なかなか他のジャンルとの共存が成り立たないという点です。つまり、ラブ・ストーリーやコメディやアクションといった要素がつけ加わってくると、ホラーはすぐ後ろの方へと引っ込んでいって、あっというまに消えうせてしまいます。たとえば、どんなに恐そうな設定の物語をどんなに恐そうな映像で語ったとしても、ちょっと音楽をコミカルにしただけであっという間に全部がコメディになってしまう。

 黒沢清がソウルシネマテークでした講演でホラーの弱々しさについて語られている。一つ目にビジュアルの弱さが語れ、次にあるのが、ちょっと音楽をコミカルにしただけで壊れてしまう構造である。ここでいう「弱々しい」とは価値が低いといった意味ではなく繊細であること。ちょっとしたフィルターがあるだけでホラーというジャンルが壊れてしまうのだ。

 それでも「この先日本国憲法通じません」であったり、ダムに沈んだ村や養子縁組がフックになっている血を巡る物語は恐怖シーンではないからこそ毀損されていない。犬鳴村から連想する犬神筋、狂犬病、獣姦などを正面から描くようなことは本編でもされていないが、だからこそに十分に連想させるような演出が漂白後も残る。

 そして、監督の性癖が伺える明菜のおしっこフェイント二段構えもスルーされている。カフェイン抜きのコーヒーのように流れていくホラー抜きのホラー映画は、その繊細さと演出の意味を逆説的に明らかとしながら、本質的な恐怖を残す。いや、一笑に付すのが本来論なのだろうけれど。