驚異のゼロ文字押し、その真相
クイズ番組の決勝で、僕の対戦相手は1文字も問題が読まれぬうちに回答し正解し、優勝を果たす。彼はなぜ正答できたのか? 推理作家協会賞受賞&本屋大賞6位、圧巻のエンターテインメント。文庫化に際し短編小説「僕のクイズ」を収録!
小川哲の小説『君のクイズ』は、生放送のクイズ番組の決勝戦を舞台に、「ゼロ文字押し」という驚異的な技術を用いて優勝した若き天才・本庄絆と、それによって敗れた競技クイズプレイヤーの主人公による謎解きミステリーである。
最初に疑うのは製作者を巻き込んだ「ヤラセ」であり、次に考えられるのは勘を含む「魔法」であるが、番組の構成やクイズを出題する側の意図や本庄の生い立ちを巡るうちに「クイズ」としての成立要件や自分自身の体験を問い直すこととなる。実在のテレビ番組である『東大王』においても、早押しにまつわるウルトラプレイは話題になっていたが本当に1文字も問題が読まれたり、表示されないうちに答えるのはどういうことか?となる。
フォトリーディングにおいては、まず目的意識を明確にしたり、目次や索引を読む必要があり、実際的には、まだ読んでいないページの内容を予測し、次に来る情報を先取りしつつ、視覚的な流し読みで正誤判定する対応が行われる。つまり、次文予測と投機的実行による「早押しクイズ」や「百人一首」のようなアプローチでありつつ、あくまで低解像度な文章であることがポイントだ。
LCM とフォトリーディングについての文章においても軽く触れたが、早押しクイズという形式は、情報処理における予測的要素を試す場でもあり、問題文を読み上げる中で発生する「確定ポイント」を用いてボタンを押す技術は生成 AI の高速化との接続があると考えている。
競技クイズにおける確定ポイントと負の遅延
先に述べた通り、推論過程の鍵となる概念が「確定ポイント」である。クイズの問題文には必ずある瞬間に答えが一意に確定する箇所が存在するが、このポイント以前では複数の解答候補が併存している。優秀なクイズプレイヤーは、問題文を聞きながら逐次的に各候補の確率を更新し、確定ポイント直前のタイミングで解答ボタンを押す。プレイヤーは出題者の出題パターンや過去問題の統計的な傾向、あるいはその場の文脈から問題文を推測し、まだ発話されていない「潜在的情報」をも顕在化させているのである。
このプロセスは、大規模言語モデル(LLM)のストリーミング推論にも通じるものがある。現在の LLM は基本的に次に来るトークンを逐次的に予測するが、クイズ競技のように入力途中で出力を開始することはあまり想定されていない。一般に流通している LLM モデルはアウトプットストリームの高速化に比べてインプットストリームには弱いため、複数の LLM 同士の接続をストリーミングしたりする設計は意外に難しい。
しかしながら、リアルタイム性が求められる文脈では、問いかけが完了する前に解答を出力しはじめる「負の遅延」という設計思想が必要になる。たとえば、自動音声認識の研究では話者の発話を待たずに先を予測し、同時に字幕や応答を出力する技術が生まれてきている。競技クイズは、まさにこの負の遅延を人間が自然言語ベースで実践している事例とも言える。
N 回間違えたら失格になる競技クイズにおけるリスク管理
「本庄さんもボタンに手がかかっていましたが、答えはわかっていましたか?」 「『はい』とも『いいえ』とも言えます」と本庄絆が言う。「早押しクイズにおいて、答えがわかってから押しているようだと相手に解答権を取られてしまいます。私たちは『わかりそう』と思ったら押します。ランプが点いて、答えを口にするまでの短い時間で、『わかりそう』だった解答を考えます。今の問題も、押そうとした時点では答えはわかっていません。その後、必死に思い出したわけです」
LLM においては、投機的実行結果が意に反しても表示される文章をアップデートしてしまえば良い側面もあるが、競技クイズにおいては一度押したボタンは取り消せず、誤答を繰り返したら失格になる。本書にも出てくる「ナナマルサンバツ」であれば 3 回間違えたら失格となるため、プレイヤーは誤答のリスク許容度を計算しながら、自身の知識への直感と確定ポイントを見極める必要がある。
つまり、競技クイズにおいては誤答のリスクを直感的に理解し、押すか押さないかの判断を経験に基づいて調整している。これは一種の「認知的自己キャリブレーション」と言える。LLM には、まだこの自己制御が十分に備わっておらず、自信の無い回答も確信めいて提示してしまう傾向があり、ある意味では人間のクイズプレイヤーの方がこの手にリスク管理における技術ツリーの発達が行われているのかもしれない。
人間 LLM 強化人間としての競技クイズと挫折
本書内のモノローグで頻発するのは、連想の羅列である。ある言葉を聞くと、過去の経験や記憶が呼び起こされ、それに関連する情報が次々と頭の中で想起されていく。これは、まるで大規模言語モデル(LLM)が学習したコーパスから自己回帰的に関連する情報を引き出していくかのようなプロセスである。
僕自身の経験としても話しているうちに断片的な記憶が文脈の中で再配置され、話し始めた時点においては思いもよらなかった結末になっていることが多々ある。AI 時代においてもあまり読まれない文章を手打ちで書いているのにはそういう側面があり、これはこれでローグライク的な遊びなのだろう。
思い起こせば僕自身にもクイズマジックアカデミーや資格試験のために大量のクイズ問題を連続で解いてきた経験があり、一種の副作用として人間 LLM 的な情報処理能力が身についたのかもしれない。人間強化学習によって生まれた悲しき強化人間だ。
本書においては、人生の重大な局面である「結婚」や「転勤」といったテーマも、日常の延長線上にある“クイズ”として描かれる。日常の何気ないやり取りの中にある「話があるんだけど」というフレーズは、出題の冒頭のようなものだ。受け手は、まだ何も提示されていないその言葉に対して「結婚の話か?転勤か?別れ話か?」と内的に早押しを始める。
僕たちは日々の生活の中で、無数の“問題文”のような言葉に囲まれて生きており、それぞれに対して、経験に基づく確率的な見積もりを行っている。口調、時間帯、背景、過去のやりとり。それら全てが「解答を予測するための文脈情報」になる。しかしながら、このような会話をクイズと同様に解くことは求められておらず、感情や関係性を重視した曖昧なやり取りにこそ価値を感じる相手にとっては全てが「不正解」となる。それを知識として把握していても、体験するまでは理解できていない。
クイズの本質と知識の接地
世界は知っていることと知らないことの二つで構成されている。
クイズに正解したからといって、答えに関する事象をすべて知っているわけではない。ガガーリンの「地球は青かった」という言葉を知っていたとしても、ガガーリンが見た地球の青さがわかるわけではない。
むしろクイズに正解することは、その先に自分がまだ知らない世界が広がっていることを知るということでもある。ガガーリンの言葉を知っているおかげで、僕たちは宇宙から見た地球の青さを想像することができる。
競技クイズの本質は、単に知識を問うものではなく、知識をどのように接地し、文脈化するかにある。知識は単なる情報の集合ではなく、それがどのように体験や感情と結びついているかが重要である。クイズを通じて、新たな視点や理解を得ることができるという観点を本書では描いている。
体験とクイズの接地といえば『スラムドッグ$ミリオネア』を明らかに意識しているだろう。主人公のジャマールは、過去の経験を通じてクイズの問題に答えていく。彼の記憶は、単なる知識の蓄積ではなく、感情や体験と結びついているため、瞬時に正しい答えを導き出すことができる。このように、クイズは知識を単に問うだけでなく、我々の経験や感情をも反映するものなのだ。というメタ知識構造そのものも重大なヒントになっている。
ちなみに文庫版には後日談である『僕のクイズ』という短編も収録されている。こちらは YouTuber となったある登場人物の後日談であり、それこそ『ゆる言語学ラジオ』や『クイズノック』のようなゆる知的番組における案件動画のあるあると「なぜ、うちの番組にこの企業からの案件動画を頼まれたのか?」という問いかけと企画による回答提示が面白い。
そんなわけで、競技クイズの世界は単なる知識の戦いではなく、経験や感情、文脈をも含む複雑なメタゲームであり、それを知ることは結果的にAI 時代における情報処理能力を改めて考える機会となる。本書は、クイズを通じて人間の認知や経験、感情の深さを再認識させてくれる物語である。