太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

山口揚平『なぜゴッホは貧乏、ピカソは金持ちだったのか?』〜ピカソはなぜ小切手を使い続けたか

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ゴッホピカソ

 ゴッホといえば、「死後に評価された悲劇の画家」として有名です。生前に売れた作品は1点のみであったり、耳を切り落としたエピソードなどが思い起こされます。一方でピカソと言えばオークションを活用するなどして莫大な富を得ていた事が有名です。

 どちらが画家として優れていたかなんて事は言えませんが、ピカソに「マネタイズ」の才能があったという事は確かだと著者は指摘します。その上で「マネタイズ」だけでは説明できないエピソードが紹介されます。

 生前のピカソは、日常生活の少額の支払いであっても、好んで小切手を使ったという。


(中略)


 商店主は、小切手を銀行に持ち込んで現金に換えてしまうよりも、ピカソの直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、大事にタンスにしまっておくだろう。そうなれば、小切手は換金されないため、ピカソは現金を支払うことなく、実質的にタダで買い物を済ませることができる。


 これは現代金融用語でいうところ「キャピタライズ」という概念だそうです。かつてグラビアアイドルやアニメのキャラクターが印刷されたテレフォンカードが大量に流通していた事を思い出します。既に名声があればむしろお金を使わないで済むという逆転があるのです。

お金は数あるコミュニケーションのひとつに過ぎない

 それに加えて「ピカソはなぜワインのラベルをタダで書いたのか」「ピカソはなぜ名前が長いのか」とエピソードによって、信用のある人間関係の構築があれば、お金はその人間のコミュニケーションの摩擦を回避する潤滑油に過ぎないのだと著者は指摘します。

 お金といえば絶対的に重要なものであると捉えられがちで、その反動で過剰に批判される事もあります。しかし、お金は人と人がコミュニケーションするための数ある手段のひとつに過ぎません。確かに言語、宗教、ボディランゲージ、笑顔といったことでも人は動きます。もちろん、依然として強力な存在であることは前提ですが、絶対的な存在ではないという事も意識する必要があると著者は言います。

 本書は外資系ファンドに勤めていた著者の視点から、お金の様々な側面を抉る事でこれからの経済圏を考えるものです。セツヤクエストも大詰めですので、そろそろお金の本質について考えていくかといった所です。

お金でお金を生み出す仕組み

 ビジネスには2つのレバレッジがあります。OPT(Other People's Time)とOPM(Other People's Money)です。それぞれ「人を動かす」「人のお金を動かす」という意味だそうです。「自身のお金を払う」ことによって他者を「動かす」側面も可能ですが、個人の感情やそれを生み出すスキームこそが重要でした。

 例えば外資系ファンドが日本企業を買収する際には、自身のお金を使わず大量の借り入れ金を使っており、その担保は投資先が産み出すキャッシュフローです。つまり、儲かれば儲かっただけの取り分をファンドは得る事ができ、仮に投資先が破綻したところで担保がキャッシュを生み出せないのだから債務不履行が認められます。このようなスキームによって絶対に負けないゲームをやっていたのだと言います。

 こんな事が実現できていたのも、不利なスキームであることを読むことができなかった知識差や、将来への不安などの感情によってです。その結果がリーマン・ショックでした。それでも貨幣経済実体経済は依然として離れており、そこから生み出される将来の不安からの運動量を喰い物にし続けています。

いかに自らが価値を産み出すかを考えて、実行し続けること

 市場的ポジションによって利益を得たり、お金でお金を製造していくと自身が社会に貢献するための価値が摩耗していきます。「いかに得するポジションをみつけ出すか」ではなく、「いかに自らが価値を創造できるか?」を愚直に考えて実行することが重要であると著者は説きます。

 お金は物事を現実化するためのエネルギーなので「これは必要だ」と「現実化させる対象」に選ばれることで各所からエネルギーを得られる可能性もあります。それは会社の給料もあれば、直接的なクラウドファンディングもあって、広告収入やプレゼントなどもあるでしょう。それが出来る限り、お金でお金を生み出すスキームへの依存を減らす事ができます。

 価値を生み続けるスキームを作り、そこにお金というエネルギーが流れて現実化の濃度を高めていくサイクルが必要なのです。それは同じ不労所得であっても意味が違います。

お金の様々な側面

 お金には以下の5形態があると解説されます。

形態 解説
使う お金のエネルギーを物質に変換すること
貯める エネルギーと可能性を蓄積すること
稼ぐ 社会への価値創造とコミュニケーションを通してお金を自分に引き寄せること
殖やす お金のエネルギーを価値創造の力に変えること
流す お金のエネルギーを社会に循環させる触媒の役割を果たすこと

 その上で、「お金を流す」という習慣が必要であると著者は言います。お金にはエネルギーと可能性があります。ある物事についてお金を使えばその分だけ現実化させる可能性が増えます。誰かの空想を現実化し続けるには相応のエネルギーが必要であるという事ですね。

 それは笑顔だけでも良いのかもしれませんが、それだけでは足りない場合もあるのです。このエネルギーを「流す先」には以下の四領域があります。もっと詳しい図が本書に入っているのですが、この図はいいなって思いました。

  • 還元 他者/将来
  • 福祉 他者/今
  • 消費 自分/今
  • 投資 自分/将来

 誰のどの時間軸に対しての現実化エネルギーを送り込みたいのかを意識することです。それぞれが「消費」という即物的な領域にエネルギーを送り続けて「生活の現実化」を維持してきたところがありましたが、チープ革命によって本来的な意味での消費に必要な絶対量が減っています。

 それを前提とした上で、じゃあ、どこに使おうかという話です。セツヤクエストをしているというのも、「消費」に掛かる絶対量を減らしつつ、将来の自分への「投資」をし、また「福祉」として時間的剰余や金銭的剰余を他者に使っているところがあります。まだまだ「福祉」部分の絶対量は少ないと思いますが。

ネット乞食と個別対応

 私自身が他の人にお酒や食べ物を送ってみたり、ブログ用のツールを無料公開したり、技術的なTIPS類を載せているのは、そういう側面もあります。別のボランティアもしています。逆にお酒や本を送って頂いたこともあります。その一方で、個別の依頼については『Amazon.co.jp』のように対価を要求したいという思いもあります。

 これは、「狙撃型」の依頼解決に特化するほど解決可能性の総量が減ってしまうからです。「砲撃型」の解決の場合においては5の価値がある文章を対象者5人が読めば合計25の価値があるかもしれませんが、狙撃型の場合は対象者1人に10の価値を提供する形になってしまいます。もちろん後者に価値がないなんて事は言いませんが、そればかりをしていても提供価値の絶対量が少なくなってしまう可能性についても考慮したいのです。ただでさえ使える時間が限られているので。

 また私が好きでしている事と、こうしろと言われてする事は性質が違います。コミュニケーション手段の一形態だからこそ、お金を使ってもらった方が円滑なのです。

貨幣経済はなくならない

 本書は貨幣経済と、それとはまた別の経済圏について語られます。それは岡田斗司夫のいう『評価経済社会・電子版プラス』も彷彿とさせます。これらの話をすると、そんな事を言ったって置き換わるわけないだろという話になりがちですが、そもそも完全に置き換わるという話をしているのではありません。

 部分部分で「確かにそう動いているかも」という事が出てくるのが重要です。評価経済やブログによって動くのはその人全体の5%以下とよく言うのですが、5%あれば年収400万円の人で20万円です。これは時間も同じです。でも、だからこそ各々がそのエネルギーを流した場合の合算が大きくなる場合もあるという話がしたいのです。

 お金はコミュニケーションのひとつの手段だからこそ、重要であるし、重要だからこそ絶対視して思考停止すべきでもありません。本書はそんな事に気づかせてくれました。