太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

大槻ケンヂ『サブカルで食う』〜普通の事が出来ないボンクラがサブカルで食うための4Jとは?

サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法

サブカルで食う

 全国のサブカル糞野郎の皆さんハロニチワ。僕はサブカル糞野郎のフリをしている普通の人です。『渋谷直角 『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』〜自意識の不良債権を背負ったサブカルクソ野郎達への鎮魂歌 - 太陽がまぶしかったから』では下層サブカルの悲哀について愛憎入り混じった感情を吐露しました。

 30を超えても売れない歌手やライターや劇団員をやってて、アルバイトで食いつないで、友達同士で客になり合って、堅実な道に進んだ仲間を見下す生活。


 僕自身は「見下されていた側」なので、なんともいえませんが、こちらからも本当にそれで良いの?と思ったりすることもありました。自分は「きっと何者にもなれない」という事を自覚したのが比較早かったので、「あー、はいはい」と思えて、痛みへの当事者性は低いのかもしれません。

 でも、それは羨ましくもあるのです。本当は社会時評や書評なんかをずっと書いていたかったし、勉強会やイベントでキャッキャウフフしたかったです。趣味で作ったアプリケーションがデファクトスタンダードになるだとかそういう部分への飢餓感も過去に無かったと言えば嘘になります。結局のところで仕事がどんどん忙しくなって、匿名かつ裏方的な仕事ばかりしているうちにいい年になってしまいました。

色々と球を投げたらたまたま当った

 「サブカルで食う」といっても、巨万の富とか輝かしい日々とは無縁です。むしろ『サブカル男子は40歳を超えると鬱になる - エキサイトニュース』なんて話があるように、スーパースターですら徐々に病んでいく事が強調されていきます。

 それでも「普通の会社員はむりそうだし」っていう「サブカルになりたいくん」のためのモデルケースとして大槻ケンヂさんの半生が語られます。もちろん筋肉少女帯や特撮のボーカリストであり、バラエティタレントとしても人気というバックボーンがある特殊ケースなのですが、それでも「サブカルの人」って括りになりがちです。

 ここで言う「サブカル」はちゃんとしたサブカルチャーではなく、『モテキ』とかに出てくる「サブカル」です。それで「サブカルの人」ってどういう人かというと以下の通りです。

 サブカルの人たちっていうのは結局、「◯◯になりたい」というのが明確じゃないまま表現意欲だけが全面に出て、色々と球を投げていたらたまたま当たったという人なんじゃないかとも考えられます。


 『米田智彦『僕らの時代のライフデザイン』〜きっと何者にもなれない僕らのための生存戦略 - 太陽がまぶしかったから』では、色々な働き方や生活実験をしている人々が取り上げられています。それも「◯◯になりたい」ではなくて、「なんか色々やりたいね」っていう意識が先にあるような感じです。そういう意味では、現在の環境というのは「サブカル的」な事をしやすいのかもしれません。本書にもありますが「人前で赤っ恥をかく」ことさえ許容できれば表現をするための手段は色々とあります。


自分学校を開校する必要があるけど「プロの客」にはなるな

 オーケンの少年時代はあまりさえてなかったというのは有名ですが、そういう感じで学校からドロップアウトして「自分学校」を作り始める事が語られます。とにかく映画を見続けるとか本を読み続けるいう経験が後の血肉になります。

 ただし、「プロの客」にはなってはいけないとも説かれています。「観るの側のプロ」になってしまうと「表現」ができなくなってしまいますから。自分のレベルがまだまだ低い事を存分に知っているからこ、その尻込みを「馬鹿になって」なんとか回避すべきなのです。この辺の話は id:aniram-czech さんの『芸術家は露出狂 - チェコ好きの日記』にも通じるところがあるかもしれません。

人生社会科見学主義

 「なんかダメそうだけど、経験になるし、とりあえずやってみよう」という意識が重要だそうです。オーケンの場合は芸能界にも興味があったことから、そういう話も断らないようにしていて、たまたま『ごきげんよう』でした油揚げの話がウケて、それからバラエティタレントとしての道も開けたという話が語られます。

 当時はロックミュージシャンとバラエティは少し切り離された位置にあったのですが、そこでうまいポジショニングができたそうです。10年ほど前からはむしろバラエティに順応できないミュージシャンは売上が低迷してしまうという話もありますね。それが映画に出たり、小説を書いてみたりといったことにも繋がっていきます。

 僕自身も人生社会科見学主義っぽいところがあって、例えば『1泊1400円のドヤでノマド生活するノマドヤ・ワーキング・マニュアル - 太陽がまぶしかったから』などしていたのはそういう文脈です。別に全部がモノになるとか永続的な話ではなくて、「色々な球を投げていたらたまたま当たることもある」という話にも繋がります。

人気がなくなってくるとき

 人気がなくなってくると、ヒマができてきます。そうなると、ギャンブルとかお酒とか浪費とか宗教が染みこんできがちです。かつての脚光を支える分かりやすい存在として。だからこそライフワークを持っておいた方がよいと語られます。オーケンの場合は小説でした。時間がある時には小説を書き続けることで自分と向き合ったり、仕事に繋げることができたそうです。

 また陰性なものからは遠ざかった方がよいとも語られます。犯罪、自傷、心霊、ドラッグなどについて客観的に書こうとしていても、やっぱりミイラ取りがミイラになってしまう可能性が高いとのことです。鬱々しはじめている時にはなおさらです。

 常に自由であることは、退屈との闘いだと語られます。若い頃はそれこそインターネットや動画検索をしてれば終わらせてしまえる部分もあるのかもしれませんが、40に近くなると難しいそうです。そんな時に「自分学校」が役に立つという話になります。当時は味が分からないまま飲み込んでいた作品が急に美味しく感じる事もあります。

サブカルで食うには4Jが必要

 巻末にはライムスターの宇多丸さんとの対談があります。宇多丸さんと言えば映画評論のラジオが面白くて、時々聴いています。そこで語られる内容が色々と興味深いです。対談自体はふわっと話が進んでいきますが、それらを読み解くと3Jというフレームワークになります。これはカバーにも書いあります。

  • 生活を支える15万円(Jugoman-yen)
  • 何かを表現したいという情熱(Jounetsu)
  • 自分学校などの自習(Jishu)

 そして、カバーには書いていませんが、月15万円も稼げば十分である事を支える要素として「実家(Jikka)」が出てきます。宇多丸さんも30を超えるまで実家だったそうですので4Jが必要なのでしょう。自炊(Jisui)もあるかも。

 そういえば、月15万円といえば『所得控除が受けられる積立制度を全力活用して月15万円で暮らせば貯まるよ - 太陽がまぶしかったから』だし、実家って『実家への引っ越しを見据えた断捨離をするのだけど、物理的なモノを捨てるログを蓄積したいのって「思い出のミニチュア化」なんだと気づいた - 太陽がまぶしかったから』だし、そもそもセツヤクエストをしてるのは好きな事をして食べていきたいから・・・明確に意識していなかったとはいえ、こういうアドバイスを実践しつつある自分に気付きました。我ながらこれはひどいサブカルワナビーがぶり返してるのかもしれないぞ。