サイゼリヤで初デートについて話した
サイゼリヤで初デートが云々とTwitterのTLでバズっていて、10年前から定期的に炎上しているし、その度にサイゼリヤオフ会をしていると思いながらもスペースで会話したので感じたことを記録しておく。そんなの「人による」としか言えないのに、初デートの定義や登場人物の年齢や関係性や経済状況などの観点を明らかにしないまま強い言葉が飛び交うことに面白味を感じた。サイゼリヤ問題からしか取れない栄養がある。
そもそも今回の盛り上がりの元ネタにおいて「初デート」なんて言われてないし、それなりの関係性こそが描かれているようにも見える。ただし、「〜で喜ぶ」という言葉には安いお店でも喜んでくれるチョロさのような物が滲み出ていて可燃性があるので、例えば「〜で楽しむ」であればそこまで問題にならなかったであろう。
互いに気を使わないでも良い彼女を夢想する非モテがキモいのは重々承知だけど、どこまで雑に扱えるかを試すためにファミレス呼び出しの朝マック解散なんて武勇伝を語る界隈にはあまり矛先が向かない不思議はある。なんにせよ、この絵やタイトルに性的資本のダンピングや搾取関係を想起し始める人々も出てくるのは分からんではない。そもそも奢ることが当たり前なんかい!ってのもあるが。