太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

柳澤健『2016年の週刊文春』感想〜毎週毎週行われる一億円の大博打を続ける雑誌界の銀河系軍団

2016年の週刊文春

『2016年の週刊文春』とノンフィクション

いま、日本で最も恐れられる雑誌と、
愚直な男たちの物語――。

花田紀凱と新谷学。ふたりの名編集長を軸に、昭和、平成、令和の週刊誌とスクープの現場を描く痛快無比のノンフィクション。

 2016年頃の週刊文春といえば「文春砲」として芸能人の不倫や政治の不正などのスクープを連発していたイメージがある。ゲスな好奇心を満たしつつもスキャンダルで芸能界や政権が動いていく効果を感じつつも自分の読書遍歴には縁遠い存在であった。

 それが、僕自身の愛読書でもある『1985年のクラッシュ・ギャルズ』などのプロレス系ノンフィクションに定評がある柳澤健が『◯◯年の〜』シリーズとして書いていて、著者自身も週刊文春出身と知って俄然興味が湧いてきた。

 週刊文春編集部に所属した花田紀凱と新谷学という世代の異なるふたりの名物編集長が時に邂逅する展開はアントニオ猪木棚橋弘至の関係をも彷彿とさせる。総合週刊誌の編集部でありながら否、だからこそ体育会系な現場と時代感覚と歩みながらも大きな時代の流れに抗っていく様は編集者スーパースター列伝のような趣きがある。

毎週毎週行われる一億円の大博打

 週刊誌には巨額の経費がかかる。紙代、印刷代、デザイン費、輸送費、 取次(雑誌・書籍の問屋にあたる)や書店への支払い、宣伝広告費、原稿料、編集部および校閲部、営業部、広告部など社員の人件費、取材経費、交通費、残業時の食事代まで、すべてひっくるめて一号あたり約一億円といわれる。
 『週刊文春』編集長の仕事とは、毎週毎週、億のカネを使って大バクチを打つことなのだ。

 週刊誌の出版は毎週毎週、億のカネが動くギャンブルであると宣言される。雑誌を印刷して取り次いで書店に送るだけでも巨額のお金がかかるし、もちろんコンテンツを充実させなければ売れるわけもない。

 月に一回の後楽園ホール興行であればわからなくもないが、なにせ「週刊誌」である。常に締め切りが迫っているし、古く感じるような話も載せられない。作家であれば自分自身で完結し得るが、取材対象は締め切りを考慮してくれない。わずかなインターバルでの短距離全力疾走を繰り返し続けるようなものだ。

 原稿の多くは〆切の夜遅くにやってくる。印刷所は基本的に朝から動くから、入稿作業は夜を徹して行われる。  編集長は雑誌にかかわるすべてのことに責任を持ち、部員を気持ちよく働かせ、やる気を出させ、自分の雑誌を常により良いものにするのが仕事だ。誰よりも優秀で、誰よりも多くの情報を持ち、誰よりも働かなくてはならない。

 そんな編集部を率いる編集長には超人的な体力と気力と能力が求められる一方で、雑誌作りは集団作業である。信念と能力と癖のある部員たちに気持ちよく働いてもらわないと雑誌はできない。

編集長への3ヶ月休養命令とその後の飛躍

 序章のタイトルが「編集長への処分」。2015年10月15日号の編集完了後に編集長の新谷学への休養命令から本書は始まる。表向きの理由としては春画のトリミング掲載であるが、当時の週刊文春は大きなスクープが取れずに返本率がジリ貧になっており、その焦りからかブレーキの効いてない記事が増えていたという。

インターネットの影響で雑誌が売れなくなってきたこともあると思いますが、昔のサロン的な雰囲気がなくなり、変な芸能人のスキャンダルが増えた。いわゆるゴシップ誌になってきているような印象です。当時、外にいた人間の勝手な言い方ですけど、(記者やデスクとして)その変化の中心にいたのが新谷さんだった。それだけ新谷さんは力のある人なので

 ただでさえインターネットやスマートフォンの影響で部数が落ちている中で、報道される側の権利意識が高まっていったのも2015年頃だったと記憶している。徹底的にファクトを揃えたスキャンダルでなければ訴訟のリスクを抱えることになるし、それだけのコストやリスクをかけても部数が伸びてこないという圧倒的な厳しさがある。

スクープは、他のメディアが追いかけてきて初めてスクープになるものです。当時の安倍政権は支持率も高く、新聞やテレビは腰が引けているから、簡単には後追いをしてこない。でも、年明けには通常国会が開かれ、予算委員会も毎日開かれる。そのタイミングで『週刊文春』に記事が出れば、当然、野党の議員は甘利大臣の収賄について質問し、新聞もテレビも追随せざるを得ない。そう考えたからです

 そこから週刊文春の歴史を辿って休養していた編集長が年明けに帰還してからのスクープ連発がまさに『2016年の週刊文春』なのだけど、それは編集長が復帰したら盛大に打ち上げようという編集部の想いと、スクープは年明けを待つべきという現実的な判断が重なってのこと。

 急にやり方が変わったわけでもないだろうが、「部員を気持ちよく働かせ、やる気を出させる」ことが編集長の仕事である。とはいえ、体育会系な関係性については周囲からの批判も多いし、様々な理由で離れていった人々もいたのだろうと思われる。

週刊文春に情報が集まるブランディング

「ひとことでいえばブランディングです」と新谷学は言う。
「雑誌読者ばかりでなく、日本全国津々浦々まで、『週刊文春』からはとっておきのスクープがじゃんじゃん出てくる、お金を払う価値があるメディアだよね、というイメージが浸透した。それが二〇一六年だったと思います。
 この不正は許せない、どこかに告発したいと誰かが考えた時に、真っ先に思い浮かぶメディアが『週刊文春』にならないといけない。俺はずっとそう思っていました。『週刊文春』なら腕は確かだし、リスクを取ってでも、どんな強い相手でも戦ってくれると告発者に思ってもらえれば、情報提供の量は飛躍的に増える。

 週刊文春の圧倒的な強みは告発先のファーストチョイスになれることだろう。あまりスキャンダルに興味のない自分であっても文春砲は知っているし、政治不正の報道は週刊誌が発端になることのが多い。また徹底的にファクトを集めることで2016年には1件も訴訟がなかったという。

 さらには『巨人軍「闇」の深層 (文春新書)』や『週刊文春記者が見た『SMAP解散』の瞬間 (文春e-book)』など現役記者が実名で書籍を出し始めたのも2016年から。その記事を書いたのが誰なのかを明らかにして、代表的な書籍名を併記することで情報発信源の信頼性を確保する狙い。それもまたブランディングだろう。

時代への抗いと文章にお金が払われること

 2016年のうちは快進撃を続けて「雑誌界の銀河系軍団」とまで呼ばれていた週刊文春であるが、2017年以降になると部数が落ちてくる。全年代にスマートフォンが本格的に普及してきたし、テレビでは報道できないタブーにも踏みこんだこともあるのだろう。週刊誌が売れるためには後追いのテレビ報道がないと認知されないが、テレビだけで満足されたら雑誌を買ってくれない。

 これを覆したのも、インターネットの存在であるが文春オンラインの運営にも紆余曲折があったことが語られる。新谷自身も雑誌の特集スクープを無料の週刊文春オンラインに載せるのを拒否している。最終的には「週刊文春編集局」を新設して、新谷が編集局長になることで協力体制になるのだけど、そこに至るまでの社内調整や衝突のわかりみが深い。

 インターネットの有料記事は利益率が高いし、テレビ局から「記事使用料」を徴収することで、テレビ報道だけで満足してしまう層についてもマネタイズできるようになったという。1記事5万円でも売れていくし、100番組で放映されれば500万円だ。時代に抗うだけでなく正当な報酬を求めていくことで雑誌単体で売れなくてもトータルで収益が取れるスキームを設計するのも一億円の大博打を続けるためには必要なことなのだろう。

 他にも花田紀凱が『鬼平犯科帳』の名付け親になった経緯など、歴史の中で語られる興味深い話がたくさんある。それで僕自身が総合週刊誌を読むようになるのかと言われれば微妙なのだけど、熱い人間達がそれぞれの信念を持って戦う様は面白い。それが毎週毎週行われる一億円の大博打を続ける雑誌界の銀河系軍団の話であればなおさらだ。