お題「何回も見た映画」
しばらくブログを書いていなかったのでリハビリを兼ねてお題に答えていくことにする。最初のお題は「何回も見た映画」とのこと。映画はそれなりに好きなのだけど、何度も見返す映画はそう多くない。『ブレードランナー』や『コマンドー』などは定番だが、なんといっても『ドーン・オブ・ザ・デッド』を見返した回数が多い。
ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ(原題:Dawn of the Dead)』ではなく、リメイク版である。一般的な評価としては『ゾンビ』のが名作とされているし、歴史的な価値もあるのだけど、なぜだかリメイク版のが好きなのだ。
『ゾンビ』を観ずにゾンビという概念を知る
その要因は色々と挙げられるのだけど、「自分が最初に観たのはリメイク版だった」という事実が一番大きいと思う。もちろんゾンビ自体の知識はあったし、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を観たり、『バイオハザード』のようなゲームもやっていたのだけど、その源流たる『ゾンビ』を観たことがなかった。
オリジナル版のDVDにはプレミアがついていたし、近くのレンタル屋にだって置いてなかった。クソみたいな二番煎じ、三番煎じのゾンビ映画を観てきたなかでのリメイク版『ドーン・オブ・ザ・デッド』は本当に衝撃的だったのだ。
破滅的なオープニング、お約束のショッピングモール、どう考えても感染してる大柄、嫌な予感しかしない妊婦、アンディ銃器店とのやりとり、チェーンソー武装トラック、CJのアウトローな格好良さなどの面白要素がテンポよく畳み掛けてくる。
オリジナルよりも先にリメイク版を観てしまった呪い
後に『ゾンビ』のオリジナル版も観ることにはなるのだけど、なんだかんだ言って『ドーン・オブ・ザ・デッド』のが見返しているし、ロメロがこだわったという「ゾンビは走らない」というテーゼにもあまり執着がない。「マニアとしての正しさ」は理解できるが、こればかりは先に過剰なリメイク版を観てしまった呪いのようなものだ。
考えてみると自分の人生にはそういうものが多い。子供のころに読んだ小説や聴いた音楽は大抵何かの亜流だろうし、大勝軒の元祖つけ麺の前に魚粉豚骨系という味覚の暴力を知ってしまった。過剰化されたリメイクを先に味わってからオリジナル版に取り掛かると、当時の人々が味わえたであろう純粋な感動は薄ボケてしまう。
歴史的な時系列と、自分にとっての時系列は異なる。『ゾンビ』のBlue-Ray版が発売されるなど大分マシな状況になったとはいえ、Amazonプライムなどのインターネット配信は未だに少ないわけで、同じような人は他にもいるのではないか。別にマニアを自称しているわけでもないが、ちょっとしたコンプレックスを抱き続けてしまう。