太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

映画『闇金ウシジマくん』感想〜原作継ぎ接ぎシチュエーションを踊らされる人物の代替可能性と現実侵食

闇金ウシジマくん

ドラマの流れを組む映画版

 漫画版の『闇金ウシジマくん』が好きで、ときどき読み返している。ドラマ版についてもリアルタイムで観ていたのだけど、出来としては微妙であったので映画版は未見であった。『山田孝之主演「闇金ウシジマくん」がドラマ&映画で再々降臨!ついに最終章へ | cinemacafe.net』によればPart3やファイナルの制作・公開も控えているというというというので、このタイミングで観ることにした。

10日(ト)で5(ゴ)割の法外な利息で金を貸し付ける闇金業者「カウカウファイナンス」。社長の丑嶋(山田孝之)は、非情な取り立てで、未來(ミコ)(大島優子)たち債務者を借金地獄のどん底に追い込んできた。だが、そんな丑嶋が何者かの罠にハマり逮捕される。それは多額の示談金を目当てにしたイベントサークル「バンプス」代表・純(林遣都)の策略だった。闇金、チャラ男、借金苦のギャル。熾烈なマネーゲームがいま幕を開ける――。債務者たちを次々と奈落の底に叩き落としながら、借金漬けの恐怖に警鐘を鳴らすダークヒーロー・丑嶋。暴力と絶望を容赦なく描きながら、最後にかすかな希望の光を見せる衝撃作、『闇金ウシジマくん』が遂に全貌をあらわした!

 漫画版でいうところのギャル汚くん編と出会いカフェくん編のミックス。別々の話に出てきた意識だけ高い系イベントサークルの代表と、パチンコ狂いの母親と暮らしながら出会いカフェで稼ぐ貧困女子が幼馴染の関係。ドラマ版第一話で若い女くん編とフーゾクくん編が悪魔合体された感じに似ている。

金を借りて勝負に出る地獄、金を借りて生活する地獄

 純はスーパーフリーを思わせる巨大なイベントサークルの代表を務めながらも、主要メンバーからは「おとーさん」と馬鹿にされ、イベント運営費用のために借金を重ねる。作り上げた社交ネットワークを活用して上にいくことを夢見ながらも、報われない感じが切ない。イベント会場費用を踏み倒してきたり、示談金目当てで闇金から金を借りたりして、同情できる要素はあんまりないのだけど、一発逆転戦略しか取りようがないがない地獄を感じる。

 未來はパチンコ狂いで売春で生計を立てる母親と血の繋がらない弟と暮らすフリーター。母親の借金を背をわされたり、純からチケットを買うために出会いカフェで金を稼ぐ。大島優子が演じているからか、メシ豚(食事同伴のみ)に留めているが明確にウリ(売春)を要求されたり、友人はそちらに堕ちている描写がある。メシ豚に留めているからこそ「彼女は身体を売っていないが、人に感謝する気持ちを金に変えている」という台詞は深い。

原作シチュエーションを踊らされる人物の代替可能性

 ドラマ版からの特徴なのだけど、原作の色々なシチュエーションのみが継ぎ接ぎされており、それを行うキャラクターやストーリー展開は必ずしも一致していない。映画版については原作通りの部分が比較的多いのだけど、それでも継ぎ接ぎ感はある。これを批判的に捉えることもできるが、原作継ぎ接ぎシチュエーションを踊らされる人物の代替可能性に奇妙なリアリティを感じたりもするのだ。お前は舞台に上がっていないだけだぞと。

 俺は「あいつらと違う」と思う一方で、同じ状況に陥っていたら自分も同じ動きをするのではないかいう予感。絶望的な状況の中では結局のところで、人間の個性なんて吹き飛ぶ。身体を壊しても心が折れても働けなくなるし、家事もできなくなる。借金に追い立てられれば焦燥しきって日々の暮らしもままならないだろう。だからなんだということもないのだけど、今の自分は「たまたま」に生かされていることに少しだけ感謝する。