90年代腐女子バブルと大学生ブロガーバブル
色々とアレがアレになって、しばらくネットから離れていたのだけど、ブログお金メディアクリエイターオフ会承認ぎんもちぃいぃみたいな流れがさらに加速していたようだ。ちょうど90年代の腐女子同人バブルの頃の話に似ている気がする。
差し入れはブランド物の小物に有名メーカーのお菓子に1万円くらいするであろう豪華な花束。プレゼントだけでも3~4箱搬出してたなあ…。
冬のコミケとなれば毛皮のコートに全身ブランド物で固めた大手作家さんたちをあちこちで見かけたものです。(ちなみに晴海A館時代の時) そういやお約束のお揃いエプロンで売り子してたなあ(w
……当時を思い出すと痛しかゆしなリアル工房の時の思いででした。
萌えプレ:高河ゆん、尾崎南、CLAMP――20代30代の腐女子が持つ同人バブル時代のトラウマ
当時は高校生や大学生が描いたBL同人誌が飛ぶように売れて、全身をブランド物でかためてハイヤーから降りてきたり、お札でパンパンになったゴミ袋を搬送してたみたいな逸話が残っている。
アッパー層は少数派だろうけれど、中堅であっても会社員以上の収入はあったのだろうし、取り巻きを作る感じや、コミュニティに対する寄与の過大な実感も似ている。学生が手に入れる金額や承認としては非常に大きいし、有頂天になる感じも懐かしい。少しだけ違うのは、腐女子バブルの頃はにコンテンツの主体がそれなりにはあったことか。
結果として時間を安く売らなければよい
そこから先は商業作家になった人もいれば、若気の至りだったと日常に戻っていく人もいれば、破滅した人もいる。結末がどうなるかなんて一概には言えないのだけど効用を求める場合に必要なのは「その金や経験は利息を産んでくれるか?」という観点だろう。LTV(生涯価値)といってもよい。
ここでいう「金のエンゼル」とは個々人が持つ経験や実績やスキルや人脈。それらを普通に活用すれば達成できる成果を「利息」に例えている。
短期間で3億円ぐらい稼いでしまえばそこから先の集金スキームは殆んど必要なくなるのだけど、その見込みがなければ時間を味方につけながら単位時間あたりの収益を上げて自身のLTVを積み上げる必要がでてくる。
その時に必要になる諸々を重ねながら短期的な収益も得られるのであれば非常によいことだと思うし、目の前の100万円のために生涯収入が2000万円ぐらい下がるのであればアレという算数にすぎない。うん。おっさんくさいし、どうでもよいね。
「トラウマスイッチ」と化したブロガー文章
他人がどうしようがよいのだけど、いかにも金を稼いだとか自身への承認でまみれたブロガー文章とか毛づくろいコミュニケーションを摂取し続けるのも辛いので、僕自身はネット離れをしていくのだろう。そう意味では「メディアクリエイター」という言葉は歓迎したい。お金を稼ぐなって話じゃなくて、舞台裏自体が主流のコンテンツになってねずみ講に侵食されていくのがアレ。
ところが、とかく流行は過ぎていくもの、熱病はさめるもの。思春期を過ぎ大人になるにつれて、同人少女たちは自らが生み出した迷作に苦しみ出すようになります。
何でこんなもの描いてしまったんだろう…。
何でこんなものを得意気に友人に見せてしまったんだろう…。
若かったんだと微笑ましく忘れるには、それらの作品は少々パンチが効きすぎていました。
そしてこの恥ずかしさが、御三方に熱狂した年齢層の腐女子の中で、一種風土病に近いトラウマとなって沈殿していきます。
萌えプレ:高河ゆん、尾崎南、CLAMP――20代30代の腐女子が持つ同人バブル時代のトラウマ
先のまとめブログで「トラウマスイッチ」という言葉がでてきたのだけど、テンプレ的な文章にきっつーって思うことも増えた。なまじか自身にも経験があるからゾワゾワっとするスイッチが多いのだろうけれど、それにしたってフィルタリング作業が大変なネット環境になってしまったなぁと。読書や家事が捗るからよいんだけど。