太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

「高望みするな!」は呪いの言葉だが条件をつけられる婚活は蓋然性の地獄が怖くて逃げ出したくなる

困難な結婚

高望みしないなら不良債権と言い放つ女性の話

 ここのところで、Twitter スペースをラジオ感覚で聴いていることがあるのだけど良くも悪くも極端な人が多くて面白い。最近ではナチュラルに年収と学歴で他人を見下す発言を繰り返したり、見て癒されるイケメンなら良いけどお金も稼げず家事もしない夫は不良債権だからシングルマザーのがマシといった発言をする婚活女性(または元婚活女性)が出てきて「その男性に向けたハードルの高さは息子に返ってきますよ」なんて言われていたのだけど、うーむとなった。

 「私は年収がある程度以上の相手でないと話が合わない(なぜなら私は知的だから)」なんて台詞が出てくるのは感情のない釣りか露悪趣味者だけだと思っていたのだけど、普通の音声でそのような主張がされるとなかなかの破壊力だし、演技なら演技で狂人の真似をするなら〜である。別に何が正解だとか、こうすべきという話がしたいのではなく、そういう人がいるのは事実という前提のみで思ったことについて記録しておきたい。

そもそも結婚は病める時に支えあうためのもの

 個人的にハードルの高い必須条件を挙げていく婚活が怖いと思ってしまうのは、現時点ではその条件を満たしていたとしても、そうでなくなるかもしれないし、仮に子供の出来が悪かったら虐待したりするかもしれないし、その他者に対する自己責任論とパージは「不良債権」と見做した家族にもぶつけるかもしれない。「かもしれない」ばかりだが、かもしれないの度合いを「蓋然性(プロバビリティ)」という。

 だって、話は逆だから。病気になったり、失業したり、そういう困難に直面したときに支え合うために人間は結婚するからです。結婚式のときに牧師さんが言うじゃないですか。「健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも」って。

困難な結婚

困難な結婚

  • 作者:内田 樹
  • アルテスパブリッシング
Amazon

 そもそも結婚するのは、「かもしれない」の不確実性の中で様々な状況下になっても支え合うためのものなのに、健やかで富めるルートだけを思い描いて、そうでないルートになる蓋然性が高まった瞬間に恐ろしい過程と結末になる蓋然性が高いのであれば本当はそうでなかったとしても、蓋然性の呪いが張り詰める。

 仕事中に「かもしれない」を潰すリスクテイクをしていくからこそ、家庭にはDMZ(非武装地帯)を求めていたはずなのに婚活バトルフィールドに参戦することで戦線が家庭内にも広がって倒れてしまう蓋然性が高くなるし、倒れてしまえばパージされる蓋然性が高くなる。そして他人に完全性を求めるあなたは何を提供なさるおつもりですか?ともなる。例えそれが自己の幸せの蓋然性を高めるための行動だと分かっていても逃げ出したくなる。

「高望みするな!」は呪いの言葉

 その一方で、「高望みするな!」も呪いの言葉だ。その言葉を真に受けてもらっても妥協してあげた感が相手の態度に出てきて互いの自己肯定感を削られるし、ちょっとしたことで修復不能になる。そして別れ話の翌日にBase Ball Bearの『そんなに好きじゃなかった』の歌詞を知っている風景と共に投稿されて僕はやり直せない死を迎えることとなる。

 なので、「高望みするな!」って言い方ではなくて、定性的な魅力がそんな必須条件なんて関係なくなる関係性のが良いのだろう。例えば、家事育児の当事者性だったり、会話の面白さだったり、匂いだったり、所作だったり、ときめきだったり、居心地の良さだったりなんでも良い。好ましさの多様性を持とうって話なら分かる。

 定量的な条件の前にそれだけではない何かがあれば話は変わってくるんじゃないかと思いつつ、それこそ場数を踏んだ魅力的な強者の独壇場になって結局ダメか。なんにせよ、色々な条件をつけられたら仮に条件を満たしていても逃げ出したくなるし、かといって妥協してあげたって態度を取られるのも地獄。婚活って難しいなぁ、もっと普通にと思いながらも、自分でそれができているわけでもない。今日も答えのない議論を Twitter スペースで聴いているだけ。

困難な結婚

困難な結婚

  • 作者:内田 樹
  • アルテスパブリッシング
Amazon