太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

ストロング・ゼロを独りで飲んでいるよりも心地良い時間と空間は難しい

【甘くない 無糖 チューハイ】-196℃ ストロングゼロ 無糖ドライ (DRY) [サントリー チューハイ 350ml × 24本]

寂しい朝にはアルコールが飲みたくなる

 様々な人々と疎遠になっていって、仕事の疲れも自覚していると予定のない週末を迎え入れることになる。映画を観たり、本を読んだり、小旅行をしてみたりという程度の充実はあるが、ついついアルコールに手が出てしまう。

 夜に飲むよりも昼に飲む方が美味しいし、昼に飲むよりも朝に飲む方が美味しい。そして昼下がりには気絶するように寝入って夜に眠れなくなる。田代まさしの薬物依存に対して半ば嘲笑めいたことを言いながら、内心では何も笑えていない。ここ最近の週末で自分が何をしているのかを正確に記述するほどに不都合な真実が明らかになる。

 そもそも仕事が忙しいし、業務上の会食も続いてプライベートがない。朝は朝で資格勉強などをしているなどといった状況が重なると週末に誰かと遊ぶ予定をいれる気にもならず、かといって作り出した余暇でやっているのは独りで飲むストロング・ゼロ。ストロング・ゼロが3本だと安くなるって言われると27%相当のアルコールを摂取せざるを得ない。ロング缶で。

アル中小説を酒を飲みながら読む

雪の夜、チンピラ二人組にボーナス袋を強奪され、北岡吾郎の平凡なサラリーマン人生は終わりを告げた。彼は相手を叩きのめしてドロップアウト、いつしか山谷に流れついていた。自由気儘なその日暮らし、今では立派なアル中だ。そんな彼が、同じ山谷のアル中で、連続行き倒れ事件を追うライターの初島から誘われ、一念発起して断酒に挑むが…謎の連続怪死事件を縦糸に、男たちの勇気と友情を感動的に描く、地獄の断酒小説。

 そんなかで読んだ『地図のない街』は自分の心に刺さった。若い頃には東京の山谷とついをなす大阪のドヤ街である西成に暮らしていた時期がちょっとだけあるし、結局のところでアルコールと手を切れていない。この記事だってストロング・ゼロを飲みながら書いている。

朝ビールは良いけどウィスキーや焼酎はダメだと思う倫理

 ただし、弱い酒の代表、アルコール度約五パーセントのビールだけでアル中になる者は滅多にいない。
 初島の話では、ビールだけでアル中になった者は、医学界に公式に発表された例は日本ではただ一人しかいないそうだ。その男は、ビール以外のアルコール飲料は一切呑まず、しかし一日にビールの大壜を二○本以上、約五年間毎日呑み続けて、はれてアル中になったそうだ。

 この小説の中で一番好きなのは「ビールだったらいくら飲んでも大丈夫」という妙なお墨付きだ。フリーライター初島の本当か嘘か分からないウンチクの妙。断酒小説なのに朝から豚汁定食を食べながらビールを飲んでいるシーンは本当に美味そうだし真似したくもなる。そもそも飲み会の翌朝の乾いた身体に一番嬉しいのはビールだ。

 もともとタバコは吸わないし、ウィスキーや焼酎や日本酒などを家で呑まないよう我慢している。ライトアル中の倫理感としてそれだけは頑なに守っていることに妙な安心感を感じたりもしている。朝のビールは最高だが、ビールばかりを飲むのも金銭的、尿酸値的なリスクがあるからより安くてヘルシーな(!?)ストロング・ゼロが消極的に選択される。

余暇を作った挙句のストロング・ゼロ

 社会人なりたての頃は大学時代の友人と遊んだり、勉強会とか異業種交流会とかオフ会とかにそれなりには出席していた。それに対して「くだらない」と思うのも早かったけれど、斜に構えながら誰かに誘ってもらうのを待っているのが一番格好悪いと気づいたのは三十も過ぎてからだ。

 婚活をしてみたり、知らない人達の集まりやバーに顔を出してみたりもしてきたけれど、斜に構えたまま。無理にでも予定を作ることで規則正しい生活をしていた事も否めないが、家でストロング・ゼロを独りで飲んでいるよりも心地良い時間と空間は難しい。受け身でも充実して過ごすためには、それでも呼んでもらえる魅力が必要となる。

 余暇を作るために頑張ってきたのに、作られた余暇をストロング・ゼロで浪費している。人生ゲームの開拓者ルートというのは、そういうものなのかもしれないが「直視したくない不都合な真実」を強い力でゼロにするためにストロング・ゼロをもっと飲む必要性を感じている。