太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

町田康『しらふで生きる』感想〜酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふで生きる

4年前の年末。「酒をやめよう」と突如、思い立ち、そこから一滴も飲んでいない作家の町田康さん。「名うての大酒飲み」として知られた町田さんが、なぜそのような決断をしたのかを振り返りながら、禁酒を実行するために取り組んだ認識の改造、禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、そして仕事への取り込み方の変わるようなど、経験したものにしかわからない苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。全編におかしみが溢れながらもしみじみと奥深い一冊。

 町田康といえば、その筆致や元パンクロッカーという経歴から中島らものような酩酊状態を連想しがちだったのだけど、既に4年間の断酒をしていたという。本書は町田康が断酒に至るまでの思索と実践していく過程の出来事が描かれている。

 その思索は根本的にはランダムな屁理屈であって、万人が何かを得られるようなものでもないのだけど、そのライブ感こそが酒飲みから変わる過程を描き出す効果がある。片付けとスピリチュアル、ダイエットとレコーディング、断酒と屁理屈。ある目的を達成するには疑似相関な触媒が必要になることもある。

「普通」を取り戻すための方法論

 僕自身もライトアル中から脱却すべく断酒中の身である。既に酒が飲みたい!とはならないのだけど、飲み会や旅行が自粛されているのも大きい。飲み会中に酒を断るのはちょっとした面倒さを感じる。

酒を飲んでいると、どうにも変な時間に起きて頭が痛くなったり、いつも疲れが取れない感じがあったのだけど、今は普通の時間に普通に起きられる。ものすごく目覚めが良くなったわけでも全く疲れなくなったわけでもないが、普通だ。 https://www.du-soleil.com/entry/kinsyuho-ice

 本書でも仕事が手につかないことがなくなって、無駄な出費が減って、ちょっと痩せた程度の効能が語られる。でもまぁそんな「普通」を取り戻すまでの過程が断酒であろう。マイナスをなくす方法でプラスまで得ようとするのはおこがましい。

酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい

「私たちには毎日を楽しく暮らす権利がある。にもかかわらず今日一日、あまり楽しくなかった。生きていくのに必要な金を稼ぐのに追われて、自分だけの時間というものが一秒もなかった。人間というものは二十四時間を一日として生きている。ならば。私は今日のうちに私のためだけの私的な時間を回復しなければならない」

 酒に手が伸びるのはまさにこのような感情からだ。キャンプに行ったり、サウナに行ったりも封じられているし、ガールズバーなんてもっての他だ。家で酒を飲むぐらいしかない。だけど本書でも散々と語られる通り、酒を飲んで回復できるものはあまりない。酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい。

 それでも得々と自分のことを語ってやまぬというのはなぜか。それは寂しいからであろう。
 寂しいから周囲に自分ごとを語って、「僕はこんな人間なんだけど、ねぇ?どう思う?どう思う?ねぇ?ねぇ?」と問い、「おしゃまさん」などと言ってほしいのである。

 同じ町田康の著書にこんな一節がある。自分がブログを毎日書いているのもそれだろうし、本書にも似た思いを感じる。酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しいし、寂しいのが「普通」だ。しらふで生きるというのはその現実を受け入れて生きるということなのだろう。