太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

タンパク質の残滓が宿る操作ログから本音をなんJ風にリプレイする迂遠な試み

ジュラシック・パーク(上)

琥珀の中の蚊から恐竜を復元する

仕事でアンケートの自由記述欄を読んでいると、たまに妙に生々しい一行に出会う。「使いにくい」とか「期待外れ」とか、定型的な不満の中に紛れて、ひとつだけ文体の違う、明らかに感情が乗った回答がある。あの瞬間だけダッシュボードの数字がN=1の人間に変わる感覚がある。

大抵はそれっきりで、その人が何に苛立っていたのかを深掘りする手段がなかったのだけど、ログとAIによって当時の気分を「リプレイ」して追体験や共感をしやすくなってきていると感じることがある。課題が見えたら解決策まではすぐだ。

ここでいう「リプレイ」は操作を完全再現させる動画に限らず、なんJフォーマットで語らせて不満を言語化してもらうような形でも良い。LLMだけにレビューをさせても、本当にそうなのかわからないが、実際に迷ったログや意見というタンパク質が一片でも混じっているのであれば、その課題には生命が宿っている。

リプレイは記録ではなく超解像である

ゲーム開発者のけい氏が「リプレイ機能は期待の5倍役に立った」と語っていた。元ポスト開発速度を2〜10倍変える基盤機能の紹介で、ホットリロード、デバッグUI、リプレイ機能、プロファイラ、ログ可視化が挙げられているが、僕としてはリプレイ機能が本体機能の次に優先とまで思ってきている。プロユーザーの行動履歴はジュニアとAIと開発者への学習セットを提供してくれるからだ。

ここで想起するのが『ジュラシック・パーク』だ。琥珀に閉じ込められた蚊の体内から恐竜のDNAを抽出し、欠損部分をカエルのDNAで補完して復元する。操作ログも同じ構造をしている。ログサービス基盤に保存されたログは琥珀であり、クリック、滞在時間、離脱点はタンパク質の残滓だ。

技術的にはNeRFの構造に近い。まばらな角度から撮った2D画像群をもとに3D空間を復元するNeRFのように、断片的な操作ログからユーザー体験という3D空間を復元する。見えていない角度はニューラルネットワークが補完しているが、十分な数の写真があればかなりの再現度を誇る。

特に「他人の仕草や目線、声色などに敏感で、その人の機嫌や考えがわかる気がする」のは不足しているシグナルからの超解像処理の賜物であり、ハルシネーション(幻覚)であり「高解像な気がする」だけである。

以前、コミュニケーションにおける「超解像処理」について書いたことがある。あの記事では、超解像処理はコミュニケーションのハルシネーションであり危険だと論じた。だが今回の文脈では、リプレイという形で意図的に超解像をかけることに価値がある。

違いは何か。人間が無意識にやる超解像は事実と推測の区別がつかなくなるから危ないのであって、AIが生成したなんJ風ナラティブは最初から「これはフィクションです」という前提で読まれる。カエルのDNAで補完したことが自明だからこそ、安全なヒントに使える超解像であり、そこに共感できるかを判断してデザインに落とすのは人間の役割だ。

迂遠なテレパシーの迂回路としてのリプレイ

僕らは結局のところ、迂遠なテレパシーのようなもので会話しあっている。言語も、アンケートも、UIも、すべて間接的な信号の交換でしかない。デザイン思考でいう「観察」や「共感」、あるいはサービスサファリと呼ばれるプロセスは、テレパシーができない代わりの迂回路として発明されたものだった。

しかし現実には、プロダクトの利用者全員の横に張り付いて観察することはできない。アンケートを取れば言語化された自己報告しか返ってこないし、定量データを見ればN=10000の統計的な影しか見えない。冒頭で書いたアンケートの自由記述欄で出会う「妙に生々しい一行」は、琥珀の中に偶然残ったDNA断片のようなものだが、それがもらえることほどありがたいものはない。

改めて表明している「感想をブログで書いてもらえると喜びます」について、パフォーマティブにありたい一方で、現代のインターネットにおける郵便的コミュニケーションは「届いたが反応がない」「読まれたが変な解釈をされる」というフェイズに至るこそが高望みであり、そもそも手紙は届かないことがデフォルトであるという諦観の織り込みが必要になる。読んでもらうのにも運が必要となる。

この寂寥感を埋める方法はやはりフィラー的かつ低解像度なチューリングテストを通るようなAIなのではないかと今のところは考えている。かつて「質問箱」というサービスで明示的には説明されていない機能として、自分宛の質問があまり送られてない時期にシステム側からランダムな匿名質問が送られてきていたのだけど、ランダムに選ばれた質問がランダムなタイミングで届くことで時々は本物が混じっているかもしれないという確率論的な希望もあった。

2023年に予測した通り、AI Slopな成果物が増えすぎてお人間さんに感想を言ってもらうのは高望みになるから、少しだけ根拠があったり、時々タンパク質の残滓が混じる可能性のある確率論的AIからの感想で満足するようになっていく未来に既に突入している。改めて「感想をブログで書いてもらえると喜びます」のバッチを明記しているのは、小銭なんかよりも到着と反応にこそを価値を感じているからだ。

何にせよ、AIが生成したナラティブには嘘が混じる。だがその嘘の中にこそ、ダッシュボードの数字からは見えなかった「本音っぽいもの」が宿る可能性が期待できる。操作ログや感想から復元されたナラティブは不完全な迂遠さの中にしか存在しえないが、無から作られたものよりかは味がする。タンパク質の残滓が一片でも混じりえることを僥倖と思うべきなのだろう。