太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

情報ビオトープを整備するために後で読んでこなかった「あとで読む」をときめき駆動で棚卸し

積読こそが完全な読書術である

あとで読んでこなかった「あとで読む」

 TwitterRSS で見かけた記事をあとで読むために Pocket に保存していたのだけど結局あとで読まないことが多かった。目についた記事をいちいち読んでいったら時間がいくらあっても足りないし、現に読まなくても自分は生きている。

 Pocketにはたくさんの記事が残っているが、Pocketで読むのは便利なようで表示が崩れやすかったり、記事をアーカイブするたびにリストに戻ってきたり、リダイレクトリンクが鬱陶しかったりもする。

 もちろん、サードパーティアプリやサービスの選択肢もあることが重要であるが、かゆい所に手が届かない部分が出てきたり、逆に「ハック」されるとOS バージョンアップで不安定になりがちだ。利用するサービスを増やすとセキュリティやトラッキングのリスクも上がる。そんなわけで特別な理由がない限りは iCloud 標準のアプリを利用していきたい。

 そもそも、サードパーティアプリの利用を減らしたいということもあって、今後は Safari 標準のリーディングリストを使うようにしたいのだけど、それで今と同じような運用を繰り返しても結局また読まないだけになる。

積読世界を生きている

情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、
充実した読書生活を送るための方法論として本書では「積読」を提案する。
バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、
「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く。

 そもそも現代社会は「積読」で溢れている。未読メール、未読メッセージ、未読ライブラリ、ウィッシュリスト、ウォッチリスト。リストリストリスト。リストの中身を見終わる前に人生が終わる。

中間地帯と下のビオトープをメンテナンスする

 それらのリストををTODOリストとして捉えてしまうと追い立てられてしまうが、「全体」と「自分」の間に存在する非武装中立地帯として残しておくのは良い考えなのかもしれない。『積読こそが完全な読書術である』ではそれが「ビオトープ」と表現されている。

 積読が極大化すると結果としてインターネット全体に近づく。それであれば中身を読まないまでもビオトープを盆栽のようにメンテナンスしていくこと自体に想起の計画的偶発性を宿らせることができるのではないか。 

Pocket をときめき駆動で棚卸し

 情報ビオトープを構築するのにあたって、これまで Pocket に貯めてきた「あとで読む」を何も考えずに消してしまうのももったいなく思える。

 なのでタイトル軽く眺めてから今のタイミングでもときめいたら Safari のリーディングリストに入れる、そうでないなら消す。箱から箱にときめき駆動で移し替える人生がときめく片付けの魔法メソッドだ。

 今回は棚卸し方式になってしまったが、最大100記事ぐらいまでをゆるく入れ替えてタイトル・アイコン・概要文を書籍の表紙のように想起のトリガーにできるようなビオトープをメンテナンスしたい。もちろん中身を読んでから消していくのが理想的なのかもしれないけれど、そもそも全ての記事を読み込む必要はないのだろう。