太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

久部緑郎『らーめん再遊記』感想〜コロナ直前のラーメン事情と安全なイデオロギー闘争

らーめん再遊記(1) (ビッグコミックス)

ラーメン語りの再定義

 TRYラーメン大賞2019はラーメン語りの世代交代が明確になった記念碑的な会となっていた。

 石神秀幸は、そう残して完全引退する。ラーメンという大衆食の評価を少数の権威に任せるのは難しい時代になった。大衆が人気店を決める中でも評論家に意味があるのは、まだ知られていない新しい切り口の発掘となる。

 さらには新型コロナウィルスの問題もあって行列はおろか狭いラーメン屋での外食自体がなんとなく憚られるようになった。今後はテイクアウトに耐えうる麺とスープの開発や顧客の高回転を求めない店舗のありかたなどを模索することになるだろう。

ラーメン再遊記のコロナ直前感

 そんななか『らーめん才遊記』の続編として『らーめん再遊記』の単行本が発売された。SNSでバズった際にはラーメンハゲこと芹沢のミドルエイジクライシスに焦点が当たっていたが、やけに同時代的なラーメン語りと、それに「コロナ直前」という不穏なメタ情報が付与される不思議な読後感を残す。

 そもそも本書の監修はTRYの審査員を引退した石神秀幸である。よくも悪くもTRYラーメン大賞2019でも描かれたグルメサイトの点数が重要視される時代やある種の厭戦感のようなものが漫画の中にも漂っている。作中のラーメン評論家さえ引退させて大学教授に転職させる徹底ぶりだ。

 話の展開もミシュランで星をとるような新世代系ラーメン屋店主と特殊な素材をテーマにした対決をインターネットテレビ番組で生中継するなどいかにも同時代的だ。現在だったらZoom中継配信とかになってしまいそうだが「半年前ぐらいまでは最先端」の見事な記録となっている。

ラーメンでイデオロギー対決ができる幸せ

 本書で描かれる庶民食としてのラーメンの日本蕎麦的トランスフォームや「普通の中華そば」原理主義者へのカウンターカルチャーとしての総括など面白い話が語られていくのだけど、一番の印象はそんなイデオロギー対決を衒いなくできる幸福だったりもする。ラーメン論争はポリコレなのだ。

 ほかの事でイデオロギー論争したら連日の誹謗中傷や晒し上げなどに繋がる恐怖感があって難しいが、ここの領域ならば忌憚のない意見を言い合っても大丈夫だという心理的安全性があるからこそ是が非かではなく論争のなかで生まれるアウフヘーヴェンの期待がある。

 その上で「コロナ直前」であることが奇妙な幸福感を生み出している。オフィスの中で祝勝会。大規模な出版記念パーティーでの偶然の出会い。行列のできるラーメン屋。まだまだそれができていた頃だからこそ語ることのできた同時代的なラーメン論の貴重な記録である。

今に特化することで抜け落ちてしまった結晶

もともと家系ラーメンには麺固め・味濃いめ・脂多めに調整する早死に三段活用と言われる注文方法があるのだけど、それに加えて早死に三密活動が加わる。

 現在の自分は食事制限をしていて外食を避けていてるし、それでもどうしようもなく食べたくなってしまう暗い情熱が優先されているのだけど、ありえた世界の自分は新世代系ラーメン屋を巡っていたかもしれない。 

 他の漫画も新型コロナウィルスを描くか描かないかは大きな選択だと思うのだけど、コロナ直前に天下一品のこってりのように煮詰まりきったラーメン論は面白い。さらに続巻を出すらしいがどう転がっていくのだろうか。