太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

映画『ピーターラビット』感想〜「かわいい」にチャックがついたゴブリンスレイヤーと監視カメラの真実

ピーターラビット™ (字幕版)

映画『ピータラビット』レビュー

ピーターは世界で一番幸せなウサギ。たくさんの仲間に囲まれ、画家のビアという心優しい大親友もいる。亡き両親のことを想うと寂しいけれど、ビアの存在がすべてを吹き飛ばしてくれる。ところがある日、大都会ロンドンから潔癖症で動物嫌いのマグレガーが隣に引っ越してきたことで、ピーターの生活は一変! 今までの幸せを守りたいピーターと、あの手この手で動物たちを追い払おうとするマグレガーとの争いはエスカレート。

 ピーターラビットといえばキューピーのCMや三菱UFJ銀行イメージキャラクターとして馴染みがあった。株主優待でもらったガラスのコースターと鍋敷を現在も活用している。キューピー3分クッキングでも馴染みがある。

 唐突に始まる鳥たちの歌によるストーリー説明はディズニーのミュージカル映画っぽさもあるし、もふもふ動物いっぱいのズートピア的な雰囲気の映画だと思って観はじめたが、良い意味で裏切られた。基本ラインとしては『モンティ・パイソン』の精神を受け継いだかのような英国ブラックジョークが散りばめられているが、見方によっては恐ろしいサイコホラーが「かわいい」でラッピングされる居心地の悪さがある。

ゴブリンスレイヤーとしてのピーターラビット

 兎と言えば「かわいい」イメージがつきまとうが、野生の茶色い兎は畑をあらす齧歯類の害獣であり、食料にもなる距離感だ。お父さんはパイに入れられて食べられているし、田舎での猟生活を描いた『山賊ダイアリー』でも第一話からして兎の唐揚げが取り上げられる。

 兎と人間は文字通り、食うか食われるかの関係にあり、兎側にも人間と同等の知能や運動能力があったと仮定したら熾烈な殺し合いになる。ピーターラビット達にはそのような知能や運動能力があってジャケットまで着込んでいるのだけど、それは兎なのではなく「ゴブリン」とでもいうべき存在なのではないか?

 マグレガーおじさんは原作にも登場したおじいさん。畑を襲ってくるゴブリンたちと戦って逃げられるもののピーターの服を剥ぎ取ってカカシにつけて待ち伏せする。このような挑発が兎に効くと思い始める時点でマグレガーおじさんもおかしくなっているが、見事に戻ってきたピーターを捕らえることと引き換えに絶命し、家や畑をゴブリン達に奪われる。

 マグレガーおじさんの死亡にもエクスキューズはあるのだけど、ピーターのサイコパスみの高いイギリスジョークや荒れ放題の家や畑はゴブリンスレイヤーの前日譚だと思えば納得できてしまう。原作だとなんとか逃げ出してトラウマを抱えながら大人しく眠る話なのに。

サイコホラーアウトレイジとしてのピーターラビット

 この家を相続することになったロンドンのハロッズで働く潔癖症で動物嫌いのトーマス・マグレガーが引っ越してくることで本格バトルが始まるのだけど、拗れた原因にはビアの存在も絡んでいる。ピーターラビットの原作者はビアトリクス・ボターでおそらく原作者をモデルにしており、ピーター・ラビット達の絵も描いている。

 それでいながら、ピーター達は普通の兎にしか見えていないようなそぶり、少なくとも言葉は聞こえていないところにリアリティラインがある。「野生の兎が餌を求めるのは当然」程度の解像度でしかピーター達を認識できていないが、だからこそ優しくしてくれるビアにピーターは慕情や恋心すら抱いている。

 ここでトーマスとビアのラブストーリーが始まることによる嫉妬が殺し合いに火をつけているのだけども、そんな存在が兎であるわけないんだ。『すごいよ!!マサルさん』のメソやリラックマのように兎の皮にチャックがないかを確認してしまう。実写の人類とかわいいCGの動物が組み合わさった絵作りはタチの悪い幻覚のようだ。ピーターラビット・イマジナリー。

監視カメラに映る真実と残る疑問

 ピーター達のたわいのない嫌がらせはエスカレートしていき、トーマスが防衛のために買った電流ケージや爆弾が畑に配置されてついにゴブリンスレイヤーとして覚醒したトーマスとピーター達とのタワーディフェンスの様相になるが、たかが兎を相手にしていると思い込んでいるビアにとっては雛見沢症候群の発症にしか思えない。でも、たしかに互いの親族は殺されている。

トーマスとピーターの対決シーンは『プライベート・ライアン』を参考にしており、爆発シーンも火薬を用いて撮影されている

 本格的なリモコン爆破。アナフィラキシーショックの報復。電流ケージの逆流。トムとジェリーのじゃれ合いを逸脱したアウトレイジなような展開に笑いながらも、サイコホラーの様相を帯びてくるのはトーマスが持ち込んだ武器による自爆ばかりが描かれていること。そもそも存在するはずのないピーター達の特性やトーマスにしか声が聞こえていないことを考えると『ファイト・クラブ』の監視カメラのようなオチだってあり得るし、「幼少期の幸福な記憶を投影してた」なんて説明さえも浮かんでくる。

 この不安はロンドンにピーター達がハロッズに戻ったトーマスを連れ戻そうとするシーンで一瞬映った監視カメラ映像をコマ送りすることで一部解決するのだけど、それは是非本編を確認してほしい。心霊テープには嘘が映る前提があるのに、映画本編の映像よりも監視カメラ映像のが信じられるのは逆説的ではあるが、序盤にも監視カメラシーンがあった演出で見事に伏線回収されている。でも俺でなきゃ見逃しちゃうね。

「かわいい」でラッピングされることによる逆説的な恐怖

 かわいさと不穏さの同居は『ちいかわ』を想起させる。この作品も小さくてかわいいやつが遊んでいる作品なのに、身体を乗っ取る存在やでかくて強いやつや資本主義の搾取構造が描かれたりする不穏さが含まれているのだけど、一番怖いのは「小さくてかわいいでは無くなってしまった存在」が出てくること。爪が生えてきたり、大きくなってしまったり。

 かわいくなくなった存在が同じ中身でドジをしても愛せるのかというのは難しい問いかけだ。そして人間がちいさくてかわいくなくなる原因には「加齢」という誰もが避けがたい問題がある。いっそピーター達が嫌悪感をも抱かせるゴブリンらしい見た目であればビアとも結託して躊躇なくゴブリンスレイヤーができるのにいう感覚には「かわいそうランキング」の内面化が絡んでいる。そんな不穏さを感じさせながらも、生物学的にあり得ない過程を経て物語自体は爽やかに終わっていくことがまた恐怖心を煽る。つまり、ビアも共同幻想を受け入れて主観的な実話を絵本にした……ってコト?

イギリスの湖水地方。前作で一応和解したかに見えたトーマスとピーターラビットだが、ピーターが悪戯をしてはトーマスに説教されるという日々が続いていた。そんな日常にうんざりしていたピーターはトーマスとビアがビアの本に興味を示している出版社に出かけた際、出版社から抜け出し、グロスターの街を散策する。ピーターは亡き父の友人、バーナバスに出会った。バーナバスは本物の「ワル」であり、ピーターは彼から「ワル」としての生き方を教わることになった。

 『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』が上映中。今度は兎同士の話がメインになりそうだけど、余計に「かわいい」にチャックがついたゴブリン達の物語にようにも思えてくる。