太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

なぜ居候は三杯目をそっと出すのかの禁忌と小さな茶碗でおかわりする生活

牛丼の戦前史: 東京ワンニラ史 前編

食器洗いを簡単に小さな茶碗を使う

いくら自炊をしていると言っても、基本的な献立はご飯、味噌汁、おかず、漬物ぐらいのもので大抵はシェラカップ2つと深皿があればまかなえる。カレー・雑炊・丼物であれば深皿ひとつだけだ。

 食器を洗う量を減らせば食洗機はいらないという話をしていたが、もっと言えば表面積をいかに減らすかが課題であって、小さなシェラカップを利用することで即座に洗い流しやすいという側面がある。当たり前の話だが大きな器や皿は洗いにくいし、シンクに放置すると大惨事になってしまう。バスタオル問題に類似する。

 小さな器を使う不便さでいえば一度に料理が入りきらないことであるが、おかわりをすれば問題ない。むしろ熱々で食べられるようになるし、極端な味変もしやすい。なによりもフェイズ分割や時間経過が満腹中枢を刺激して少量でも満足できるようになる。丼飯で一合を食べきるのは容易いが茶碗4杯を食べきるのはなかなか難しい。

かつての日本では一膳飯は禁忌とされていた

 そもそも日本の生活様式としてご飯は「おかわりしなければならないもの」であった。

 一膳飯のタブーとはなにかというと、ご飯を食べるときにはかならずおかわりをして、二杯以上食べなければならないということだ。ご飯一杯のみで食事を済ますことは、葬式を連想させる非常に不吉な行為として、かつては忌み嫌われていたのだ。
 この一膳飯のタブーは、食事に関するタブーとしては非常に強力なものであり、かつての日本では広範な地域で観察することができた。

 明治時代以前においては葬式の際には普段は決してしない一膳飯を食べることで死者との絆を分かつ「食い別れ」が行われていたという。このため、普段の食事ではかならずおかわりをしたし、おかわりできるような小さな茶碗を使っていたという。当時の記録を見るとせいぜい拳が入る程度。

居候が三杯目にはそっと出す意味合い

 そのような前提に立つとこの川柳の本当の意味がわかってくる。

 居候(いそうろう)三杯目にはそっと出し、という川柳がある。タダ飯を食べさせてもらっている居候は肩身が狭いので、ご飯のおかわりをするにも遠慮がちになるという川柳だが、なぜ二杯目ではなく三杯目なのかというと、二杯目は一膳飯のタブーを回避するための義務なので、堂々とおかわりすることができたからなのだ。

 僕自身は居候でないから具沢山の味噌汁を小さなシェラカップで3杯食べたりしているのだけど、なかなかの満足感だ。なんにせよ食器洗いの表面積を減らしたり、少量で満足できるようにするための手法と日本にかつてあった禁忌避けが連結するというのはなかなか興味深い。