ブログって「ネタ探し」してまで書くほどの事?
個人ブログってわざわざ「ネタ探し」してまで書くほどの事なのかと思う事がある。もちろん、「好きなことで、生きていく」勢にとってネタ探しが重要となるのは分かる。どこかでアルバイトや委託契約などを請けた方がネタとお金の両方が手に入るような気がしないでもないとはいえ。だけど、特に何かに繋がりそうもない部分で、苦行のように更新作業をし続けている人々を見ると、なにがそこまで駆り立てているのかが不思議になってしまう
「ブログのネタにもなるから行動する」は分かるし、僕にだってそういう側面がある。だけど、ブログに書くためだけにネットに1日中張り付いていたり、今日はネタがないと焦ったり、ネタ切れにならないための方法論といったものが流通している感覚がわからなくて、端的に言えば少し「怖い」のである。
オカルトを含めた圧倒的的動機が必要となる場面
僕自身は嫌儲ではないし、ブログがきっかけになったことも多々あるので、そっち方面の動機付け要因は理解できるつもりだし、逆に趣味として「白線から落ちたら死亡」という遊びをしたくなる気持ちも分かる。だけど、自己啓発的な部分と結びつけられた時にゴールと手段の因果関係が全く見えない場合がある。それを理解できないから価値がないと言いたいのではなくて、原理を知りたいと思う。
『人生がときめく片づけの魔法』には「片づけはマインドが9割」という言葉があって、「片づけ」のように「あるべき姿」が明瞭にイメージできることについては、その過程がオカルトであったとしても「マインド」を作り出すことで大抵はうまくいく。
「片づけはマインドが9割」という確信が本書に書かれているのですが、生活改善についてはリワード設定による駆動が重要となってきます。そして片付けは「あるべき姿」が比較的明瞭なので、駆動が続く限りは方法論をさておいても漸近的発展が見込めます。なので「人生がときめく」というリワード設定もその程度の意味合いだと思っていましたが、彼女は後述の通り、かなり合理的にそれを引き起こそうともしています。
「面白くないけど、やらなきゃいけないこと」にする意味
また掃除のような「面白くないけど、やらなきゃいけないこと」については、少しでも楽しくしよう、価値あるものにしようという論理が生まれることもわかる。
明石家さんまさんの新弟子時代、掃除をしていたところに笑福亭松之助師匠が「掃除はおもろいか?」と訊いた。さんまさんは「おもろないです」と答えたそうです。…(つづく)ー糸井重里が『今日のダーリン』の中でー [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年4月27日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) 2014, 4月 26
(つづき)そしたら、松之助師匠は「そうやろ。そやから、おもろぅするんや」と言ったと。
この逸話、ぼくは大好きなんです。ー糸井重里が『今日のダーリン』の中でー [ほぼ日手帳・日々の言葉・2014年4月27日] #techo2014
— ほぼ日刊イトイ新聞 (@1101complus) 2014, 4月 27
でも個人ブログは基本的に「やらなきゃいけないこと」ではないし、「あるべき姿」よりも過程そのものが報酬になる性質のものである、と僕は思う。つまり「面白くないけど、やらなきゃいけないこと」に位置付けさせてでも駆動させるという圧倒的な動機を見出しているはずで、そこの原理を知りたいのだ。きっと「ネタ探し」をしてまで書くほどの理由なのだろうから。

- 作者: 水野敬也,小林昌平,山本周嗣
- 出版社/メーカー: 新潮社
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