太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

いつまでも信号は変わらない。なぜなら誰もボタンを押していないのである

38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相

いつまでも変わらない信号機

 よく通る場所に押ボタン式の歩行者信号機があるのだけど、ボタンが死角になりやすいのか無限に青信号を待っている人々が時々いる。今となっては慣れたものなので最初にボタンを確認するのだけど、五人ぐらいが時間差で来ているのに誰もボタンを押していない事まであった。

 そんな時に、この漫画を思い出して「いつまでも信号は変わらない。なぜなら誰もボタンを押していないのである」なんて思うのだけど、自分自身が当事者なのに動かない傍観者効果とはまた違った不思議な心理がある。

まさか誰かがやってくれているだろうの怖さ

この事件では、深夜に自宅アパート前でキティ・ジェノヴィーズ(1935 -1964年)が暴漢に襲われた際、彼女の叫び声で付近の住民38人が事件に気づき目撃していたにもかかわらず、誰一人警察に通報せず助けにも入らなかったというものである

 傍観者効果の元になった事件には、「自分には関係ない」や「助けにいったら自分も危ない」といった視点もあるのだけど、信号については自分自身が許容範囲を超えて待たされているのに、何にも確認していないことに恐ろしさを感じたりもする。

 信号は自動で変わるものだと思ったり、押ボタン式である事に気づいてても自分の前に来た人が押しているだろうと思ったり。自分がボタンを押さなくて信号機は変わっていくものだという正常性バイアスがあるのだろう。

問合せ対応をするなら基本からの再確認が大事

 問合せの共有を受けた場合にも恐らく初歩の設定ミスが原因だから気づくだろうし、あんまり口を出すと煙たがられるから黙ってサポート部門にやりとりを任せる事がある。それで大抵は上手くいくのだけど、時々全然解決しなくてマニアックな調査依頼が来るが、当初に思い浮かんだ初歩の問題が確認済だからエスカレーションされたと思い込みがちだ。

 それでマニアックな調査や調整をしてももちろんダメだから、最初から確認し直そうとすると想像通りに初歩の原因だったみたいな話になってしまう。ボタンを押せば信号が変わるに電気回路の不備を疑われて調査していたような物だ。

ここまでは確認していただろうからヨシ!

 そこに至るまでには対応マニュアルの貧弱さや組織の関係性など様々な要因があるのだけど、「エスカレーションすれば確認してもらえるだろう」と「エスカレーションしてくるなら確認しているだろう」の相互に甘えの構造がある。下手したら「別に自分がエスカレーションしなくても誰かが騒げばやってくれるだろう」まである。

 そういう事は生活にも仕事にも政治にも生まれがちだという前提に立っていく必要がある。それは自分を変えていくとか相手を説教するだとかの話ではなくて、最低限の確認項目やフローを明記して、エビデンスを残してもらうといった組織構造を作るところからやっていくべきなのだろう。