太陽がまぶしかったから

C'etait a cause du soleil.

町中華探検隊『町中華とはなんだ』〜「正解」がないから集まる複数の視点

町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう (角川文庫)

町中華とはなんだ

 ここ最近、中華料理を食べようと思うと日高屋や王将などのチェーン店か来日中国人の本格仕様に二極化していて、炒飯や中華丼やレバニラ炒めなんかを提供する大衆的な個人店に入る事がめっきり少なくなったと気づく。

うまいわけではない。安いわけでもない。中華料理屋のたたずまいだが、カレーやオムライスも提供する。何に惹きつけられるのかと問われれば説明が難しい大衆中華食堂。本書では「町中華」と呼び、北尾トロらが探訪する。

 本書で言われている「町中華」はさらにズレていて、例えばカツ丼やオムライスがあるような中華料理屋だという。オムライスであればウェイバー炒飯などの中華風な逃げ道があるが、カツ丼は中華風になり得ない。あくまで佇まいだけが中華風の定食屋が「町中華」となるようだけど、その定義はひどく感覚的だ。

絶滅してしまうかもしれない町中華を巡る仲間を探す旅

 「この感じのお店は絶滅してしまうかもしれない」と言う危機感から町中華探検隊をスタートさせていくのだけど、少人数での活動では食べられるお店や料理が限られるからと活動人数が増え続ける。書き手がリレーして内輪ノリや同じ事象への複数視点が描かれる文章など『恐るべきさぬきうどん─麺地巡礼の巻─(新潮文庫)』の麺通団を彷彿とさせる。

 ここまで読んだ自分からしても「町中華とはなんだ」を明確に説明する事ができなかったりもするし、それは提唱者の北尾トロもきっと同じ。だけども、フワフワとした定義のまま感覚の合う仲間を増やしていく所にサークル活動としての醍醐味がある。

「自分にとっての思い出の店」がランキング化される問題

 町中華に思い出補正はあれど、そこに他者を連れていけば「まぁまぁ」という反応になってしまいがちだ。様々な種類の料理を提供する個人店は材料やオペレーションが安定しにくいし、価格帯もチェーン店に比べたら高くなりがちだ。ある意味では「裏人気飲食チェーンの本当のスゴさが分かる本」なのかもしれない。  

 それでも、明確な定義もコスパ追求もないから多人数での趣味は成り立つ。何かしらの「正解」を作ってランキングしていくのが目的であれば町中華探検隊に人は集まらなかったであろう。だからこそ意見をまとめるのではなく、それぞれの主観を語り合って楽しむところに醍醐味がある。私に取っての「町中華とはこれ」だと。