気づいたら歳をとっていた
なにかの理由があったわけでもないのだけど、ずいぶんと久しぶりの更新となった。家と仕事場と酒場とスポーツジムを往復しているうちに日々があっという過ぎていく。
気づいたら歳をとっていた。鏡に映る疲れた顔や後退しつつある生え際はまごうことなき中年のそれだ。サプリメントを飲んでも育毛トニックをつけても加齢には抗えない。それよりも、なによりも感情の起伏がなだらかになったように思う。
じぶんの周りの事やインターネットの事件や政治やスポーツのこと。他人の祭りであっても、もっと喜んだり、悲しんだりして、その感情を言語化しようと試みたものだけど、特になんにも感じなくなってしまった。自分の周りに靄がかかっている。
恋愛ライセンスの自主返納
同じような日々を孤独に過ごすのもつらいから、やっぱ結婚したかったなぁと思ったりもするのだけど、色々な意味で厳しい。そもそも現時点から誰かを好きになることができるかも分からないし、疲れた中年男に好かれる方も困るだろう。新入社員をサシ飲みに誘ったりしたら事案だし、TwitterのDMは秒で晒される。
ここ最近は運転免許の自主返納が増えているという。奇しくも非モテの分類として「自分には誰かを好きになる資格がない」と思い込むことが挙げられるだけど、自身の加害可能性に気付いて恋愛ライセンスを自主返納する理性も必要になってくるのだろう。
恋をしたらキチガイの道を走り出せるのかもしれないけれど、ライセンスを返納しておけば安心だ。
過程飛ばしの欲望
その一方で、昔ながらのお見合いや契約結婚はアリなのかもしれない。今の心持ちで恋愛的なイベントを初歩からループする過程はなんというか億劫だし、時間もあまりない。とりあえず、生活をともにしながらQOLの継続的改善をアジャイルに試みつつ、アグリーできる領域の云々。
そういう話であれば、シェアハウスなどを勧められたり、ネットコミュニティがあればという意見を言われがちなのだけど、一定以上に踏み込むことはできないし、やはり強度が足りない。
自分のことすら他人事になってしまうなかでも、他人とは思えない相手がいれば自身の感情にかかった靄が晴れるかもしれないという仮説はロマンチック・ラブ・イデオロギーより厄介なのかもしれないけれど、無神論者にとっての宗教はそこにしかないのだろう。

- 作者: 中野信子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2016/11/18
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (12件) を見る